週刊現代 2010年1月23日号
人類で一番速い男 ウサイン・ボルト 独占インタビュー
9秒58の世界へようこそ
「オリンピックを連覇して、初めて伝説ができる」
ウサイン・ボルト 100mに本格的に挑戦して、わずか数ヶ月で、世界記録をたたき出し、その後、記録を9秒58まで伸ばす。そして200m、400mリレーの世界記録も手に入れた。人類最速の男をジャマイカで特撮&インタビューした。
- 国際陸上連盟(IAAF)が決める最優秀選手に09年も選ばれ、2年連続受賞となりました。昨シーズンを振り返ると、どんな1年でしたか。
ボルト すごくすばらしい年だったと言えます。実は調子がそれほどよくない時期もあったのですが、それを乗り越えて驚くべき成績を残すことができました。自分でも本当によくやったと思いますね。
- 09年8月、ベルリンの世界選手権100m決勝で9秒58の世界新記録を出したことがわかった瞬間、どんなことを考えましたか。
ボルト まあ、自分では人が驚くほどは驚いていません。というのも久々にタイソン・ゲイ(アメリカ・9秒69の世界歴代2位の記録をもつ)との闘いで、間違いなく速いレースになることはわかっていましたから。いい記録は出るだろうと予想していましたが、それでも世界記録が出たときはワオッと思いました。
北京五輪には世界記録を出すためでなく金メダルを取りに行った
- そのとき苦手とされるスタートは自己評価としてはうまくいったのですか。
ボルト スタートは間違いなく上出来でした。09年シーズンではスタートの練習にかなり力を入れていましたからね。
- 08年8月の北京五輪で出した100m世界記録(9秒69)を上回りました。当時と、どこが変わったのでしょうか。
ボルト ご存知のように、北京では途中までしか真剣に走りませんでした。だから、そのあとでもっといい記録を出すのが容易かったのです。もし北京で最後まできちんと走っていたら、おそらく9秒5台に入れたのでしょうね。
- なぜ真剣に走らなかったのですか。
ボルト 世界記録を出すことを目的にしていませんでしたから。北京には金メダルを取るために行ったのです。だから勝利することがわかった時点で全力で走るのをやめました。掲示板を見て、初めて世界記録を出したことに気付きました。それには本当に驚きましたよ。だって世界記録をめざして走ったのではなかったのですから。
- 自足40km近いスピードで走っているとき、何が見えるのですか、何が聞こえるのですか、また何を考えるのですか。F1ドライバーのアイルトン・セナはあるレース中に「神が見えた」と語ったことがあります。そういう経験はありますか。
ボルト 何が見えたんですって?
- 「神」ですよ。
ボルト 「神」?(爆笑) 走っているときに私には神は見えません。会場によりますが、北京五輪では観客の大声援が聞こえていました。それと他の選手の足音もわかりますね。
- 小さいときは、将来、何をしようと考えていましたか。
ボルト 特にはっきりこれになりたいという意識はありませんでした。多くの子どもは、消防士になりたいとか、警官になりたいとか言いますが、自分はそういう子どもではありませんでした。でも6歳くらいのときから、クリケットをよく観ていて、すでに将来スポーツをやりたいとは思っていました。
- 陸上をやろうと考えるようになったのはいつごろですか。
ボルト 13歳ごろだと思います。父親にすすめられました。クリケットも非常に上手だったのですが、「おまえは陸上をやったほうがいい」とアドバイスされました。
- 最初から200mを専門にしようと思ったのですか。
ボルト 100mでは最初いい結果が出ませんでした。みんなから抜きんでることはできなかったのです。それで100mから200mに変えました。中学校3年生のときです。
- 昨年10月30日の会見で「ゆくゆくは400mに挑戦する」と話しましたが、その場はロンドン五輪(2012年)ですか。
ボルト ロンドン五輪のあと、400mに挑戦することを考えます。
- 走り幅跳びへの挑戦は考えていますか。
ボルト それこそが引退する前にやりたいことの一つなのです。いまからそれを心待ちにしています。
- 100mの自己記録はどこまで伸びると考えていますか。
ボルト 私のコーチ(グレン・ミルズ氏)は9秒40が限界だと言っていますね。自分がそこまで持っていける選手であるといいなと思っています。
- 目標としているアスリートは誰ですか。
ボルト 子ども時代から、ずっとマイケル・ジョンソン(アメリカ・400m世界記録保持者)とドン・クォーリー(ジャマイカ・モントリオール五輪200m金メダリスト)でした。
- 生活面、食事面でアスリートとして、気をつけていることはどんなことですか。
ボルト 食べ物ですね。外出したときは特に飲み物に気をつけています。他人が注ぐからです。そこに(陸上競技をやる上で使用を禁止されている)何かが入っているかもしれませんからね。ディナーに招待されたときも、口にするものには非常に気をつかわなければなりません。
- 何を飲んだらいけないか、誰かアドバイスする人がいるのですか。
ボルト いませんが、禁止されているもののリストがあります。自分でも何を飲んだらいけないかわかっています。禁止薬物が入っている可能性がありますから、風邪をひいても薬は口にしません。
- 病気になったら、どうするのですか。
ボルト ジャマイカ療法をやりますね。蜂蜜とライムを混ぜたものを飲んで治します。
- 趣味や好きなことをどんなことですか。
ボルト ファミコンです。友人といっしょにいるときはサッカーをします。
- 海外へ拠点を移す選手も多い中でジャマイカを離れず、トレーニングを続けています。なぜですか。
ボルト 何と言っても母国ですからね。それがまず第一です。いつも暖かいこの国が大好きです。家族もここに住んでいますし、離れたくありません。ジャマイカは世界でもっとも美しい国でしょう。
- 2010年の目標はどんなことですか。
ボルト この年もまたいつもと同じ競技の年です。楽しみたいと思っています。ゲイとアサファ・パウエル(ジャマイカ・100m前世界記録保持者)や新進気鋭の選手と戦うだけです。
- 最大の目標は「伝説になること」と、よく話していますが、どういう意味ですか。すでに世界記録を連発しており、自分が伝説になっていると思いませんか。
ボルト そういう評価をする人は多いですが、いま自分自身ではそうは考えていません。ベルリンで世界記録を出したり、出場競技すべてに優勝したりしただけでは伝説にならないのです。次のオリンピックで連覇して初めて伝説になると思います。それが実現できるまでは単に偉業を成し遂げたというに過ぎないのです。
人類最速の男 23年間の「歩み」。そして限界
ジャマイカ第2の都市モンテゴベイからリゾートホテルが並ぶカリブ海沿いの道を40kmほど走り、さらに山道をクルマで40分ほど登っていくと、ウサイン・ボルトが通っていた幼稚園・小学校がある。学校には門はなく、校舎の前には芝生が生えた空き地が広がる。実はこのグラウンドこそがボルトが初めて「かけっこ」をした場所だという。幼稚園で担任だったシャロン・シーヴライトさんは幼少時代のボルトの印象についてこう話す。
「たしか彼は一度、運動会で負けたことがありました。悔しがって大声で泣き続けたので、懸命に慰めたのを覚えています。でも、ウサインが負けるのを私が見たのは、これが最後になりました。彼が小学生になると誰も勝てなくなったのです」
ウサインの家は、この幼稚園からクルマで数分のところにある。父親のウェレスレイ氏(53歳)は食肉店を経営しており、母親のジェニファーさん(47歳)は洋裁で家計を助けている。彼女も息子の「才能」に早くから気づいていた。
「5歳のときから、足がとても速いことがわかりました。ウサインの姉弟はそれほどではありませんが、私も夫も短距離がとても得意でした」
12歳になったボルトは、ウィリアム・ニブ・メモリアル学校に進学した。5年間にわたって担任を務めたローナ・ソープさんはボルトについて「じっとしていられない子だった」と話す。入学してすぐ陸上部に入り、毎年のように全国大会に出場したという。だがソープさんの記憶の中にあるボルトは足が速いだけの生徒ではない。
「どんなスポーツも上手でした。それに英語と美術の成績が特によく、英文学の世界に登場するシーンを描くのが大好きでした」
ボルトを世界の舞台に連れていったのはグレン・ミルズコーチだ。陸上のジャマイカ代表チームのヘッドコーチを22年間務めた人物である。ボルトに会ったとき、ミルズ氏は「彼にはまだ誰も気づいていない非常に優れた才能があることがわかった」が、ボルト自身は不満を持っていたという。
「18歳だった彼は当時専門としていた400mをもう走りたくないと言っていました。無理にやらせても意味がないので、100mに挑戦させることにしたのです」
この転向が、世界記録の連発へと繋がっていく。ミルズ氏は肉体面だけでなく、性格的にも短距離走者に向いていると話す。
「第一に彼は競争好きです。勝つことに貪欲で、そのうえで非常に慎重に計算されたレースをする。大勢の観衆のなかでリラックスし、さらに集中することもできます」
09年シーズンが終了した後もボルトは授賞式やチャリティーなどでヨーロッパからアフリカまで世界中を駆け回っていた。休む時間もほとんどないボルトは果たして今シーズンもまた記録を更新することができるのか。
最大のライバルである前・世界記録保持者アサファ・パウエルに問うと「ボルトはどんどん強くなっている。弱点はない」と断言した。
ミルズ氏は今年の目標を「勝ち続けること」に置いており、再び世界選手権(2011年)と五輪(2012年)で勝って、連覇を成し遂げることを目指しているという。そして、ボルトの限界についてこう述べるのだ。
「09年シーズンの最後の2~3レースで確認しましたが、彼にはまだ技術的な欠陥があります。それを克服して完璧なレースをすれば、タイムは9秒40までは伸びるはずです」
あの幼稚園の「グラウンド」から紡がれている伝説はまだはじまったばかりなのかもしれない。
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