世界初! ピアーズ被告独占インタビュー「私はなぜ服部君を射殺したか」 週刊文春 1993年6月17日号


週刊文春 1993年6月17日号

世界初! ピアーズ被告独占インタビュー

「私はなぜ服部君を射殺したか」


服部君射殺、全員一致の無罪評決は人種差別ではないのか

日系市民の間からは公民権法違反で連邦裁判所へ訴える動きも出ている。それにしてもピアーズ氏自身は、ひとりの若者の命を奪ったことをどう考えているのか?

初めて率直に語った、その苦悩の胸中。


無罪評決後、アメリカの三大ネットワーク、映画会社から電話が殺到した。10万ドル出すから、映画を作らせてほしい。独占インタビューさせてほしい。ルイス・アングルスビー弁護士は、"No more interviews"と叫び、ロドニー・ピアーズ氏にもそう伝えた。言いたいことがたまっている、ハキ出したいと思っていても、どのメディアを信用してよいかわからない。無罪になっても射殺したことに変りはないから、また悪人にされる可能性がある。部分的に引用されて、悪人にされてしまうのはもうごめんだ。ありのままに書いてほしい・・・。この悲劇からお金もうけをするなんてあまりにも非倫理的だ。映画を作るなんてもってのほかだ。インタビューを始める前、ピアーズ氏はそう言って嘆いた。


事件直後、まさかこんなに大きくマスコミに騒がれるとは思ってもみなかった。知人からルイス・アングルスビー弁護士を紹介され、事惰を説明したのは事件からまだ一週間も経っていない時です。弁護士も大した事件ではない、つまり just another accident として軽く見ていた。それが、あっという間に大騒ぎになり、意表をつかれた思いでした。私は今まで、交通違反一回以外、一切法律を破ったことがない。弁護士に世話になるのも今回が初めてでした。彼が有能であることはあとから知ったが(注:アングルスビー氏は"The Best Lawyers in America”という本に出ている)、私はその存在さえ知りませんでした。


弁護士には、起訴されるかどうかが大陪審によって決められる日まで wait and see (成り行きを見守る)ようにアドバイスされました。マスコミの人たちがすぐに家の周りをウロウロするようになり、弁護士に家を出るように言われた。


そこでザッカリーという町にある両親の家に行ったが、そこもすぐにかぎつけられ、庭の芝生ぎりぎりのところにテレビ・カメラを構えられるまでになったのです。2週間ぐらいそこにいましたが、もうマスコミはごめんと思い、さらに遠くの親戚の家に移動し、やっとマスコミから逃げられました。どのマスコミも私の話を聞きたいのはわかっているが、逆効果になる可能性があると、弁護士に固くとめられていました。


長年勤務していたウイン・ディキシー・スーパーマーケット(注:この辺りではかなり大きいスーパー)の同僚は、仕事に戻ってきてほしいと言っていた。私は食肉の部門で地位が高かったので、代わりがいないということでした。

弁護士には少し休んでから戻った方がいいと言われていたのですが、事件後2週間経ったとき、本社から leave(休暇)をとるように言われた。しかも有給ではないという。事実上の解雇と同じで収入はゼロになってしまったのです。


長年忠誠を尽し、要求される以上に一生懸命働いていたのに、しかもまだ起訴されるかどうかもわからないのに首にされた。これほどショックなことはありませんでした。少しでもいいから収入をとたのみましたが、ダメでした。

会社は私のcivil rights(公民権)をうばったのです。無罪になったら、あるいは不起訴になったら会社に戻れるかどうかの話し合いもなく、追い出されました。


起訴される前はどうしてこんなに大きなニュースになったのか理解に苦しみながら、辛い毎日を送っていた。妻も毎日泣いていました。これだけ大騒ぎになったのは日本のマスコミが大騒ぎしたからです。日本のマスコミが何も書かなければ、ワシントン・ポストもニューヨーク・タイムズも書かなかったでしょう。日本からの圧力でこの事件が政治問題にまで発展していった。その圧力に負けて大陪審は私を起訴したのです。



その時カメラが凶器に見えた


起訴が決まってから、ウイン・ディキシーの同僚たちは「起訴はまちがっている」と異口同音に言ってくれた。地元の警察官も会うたぴに「普通なら、起訴されなかった」と言ってくれました。本当にこれが極悪殺人だったら、大陪審を待つまでもなく、検察側は私を起訴したでしょう。


起訴が決まってからは、検察側は私の悪いところを見つけようと近所の人に根ほり葉ほり聞いていたが、悪いところは見つけられなかった。私は悪人ではないし、悪人になったことがありません。それなのに日本のマスコミに“悪人”にされてから、いつのまにか国際的悪漢(international villain)になってしまったのです。


現場検証した人には.、"terrible tragic accident"と言われた。ミスコミュニケーションがあったのだから、ヨシが悪いのではありません。彼にはとても申し訳なく思っています。ヘイメー力ー君は、ヨシに何か言ったと証言していますが、私はヘイメーカー君が何か言っているのはまったく聞こえませんでした。ヨシが左手に持っていたのはカメラだったとのことですが、私には凶器に見えた。それにヨシの言っていることがわからなかった。あれがちゃんと聞きとれていれば悲劇は起こらなかったかもしれません。


どうしてヘィメー力ー君が、例えぱ"Don't shoot him ! He's a Japanese student !"とか叫んでくれなかったのか。それ以前に、責任あるホスト・ファミリーなら、16歳の少年に預かった交換留学生をまかせて、2人だけで行かせないでしょう。両親のどちらかがちゃんとパーティ会場まで届ける。悲劇はそこから始まっていたのです。



考える余裕なんてなかった


ここでピアーズ氏は重大な発言をする。服部君が本当にそんなことを言ったのか。言ったとすればピアーズ氏はなぜそんな重大なことを法廷で証言しなかったのだろうか。


ポニー(ピアーズ夫人)は、「私がGet the gun ! と叫ばなかったら、こんなことにはならなかった」と自責の念にかられていましたが、なぜあんなに叫んだかがわかったのです。裁判では言い忘れましたが、妻がドアをピシャリと閉めた直後、ヨシはドアを激しくけり、curse(ののしりの言葉、例えばfuck you !)が聞こえたのです。妻が"Get the gun !"と叫んでいるのも聞こえた。妻があんなふうに叫んだのを聞いたのは初めてでした。私は瞬間、「誰かが強盗に入ろうとしている」と思いました。


慌ててカーポートのドアをあけたときは、まだ銃を構えた状態ではなかった。ヘイメーカー君は、後ろの方の車の近くに立って、ヨシだけが何か“物体”を持って、かなりのスピードで近づいてきたのです。私は「フリーズ」と叫びました。それでもスピードをまったく落とさずに近づいてきた。フリーズと言った後4回もストップと言っているのです。ヨシはまったく私の言うことを聞いている様子はありませんでした。


フリーズの意味がわからなかったことが問題にされているようですが、私はその直後に4回もストップと連続的に叫んでいる。それでも止まりそうにないヨシは、我々に危害を加えるとしか思えなかった。私にすれぱ、ヨシが日本人であることや、英語がわからないことは、知るすべがなかった。人種的には何の偏見もありませんでした。

「それでも射たなかったらよかったとか、足をねらうとか何か方法があったのでは」と言われますが、私には考える余裕がありませんでした。家族に危害を加えられては、と思って無我夢中でした。後になってみれぱ、いろいろなことが言えるのです。


一つの悲劇が生じるのには様々な要因があります。ヨシとヘイメーカー君がポニーをびっくりさせるようなことをしなければよかった(本当のハロウイーンは“2週間先”)、ポニーがおどろいても"Get the gun !"と叫ばなかったらよかった、ヨシが英語で叫んでくれればよかった、ヘイメーカー君がヨシを止めるためにもっと努力をすればよかった、ヘイメーカー君の親が2人を送ればよかった…。すべて後の祭りです。


ヘイメーカー君の両親には「我々が二人を初めからちゃんと送っていればこんな悲劇にはならなかった」という気持ちがあったのでしょうか。少なくとも私には、その気持ちが見えませんでした。ヨシが何が起こったのか何もわからないまま亡くなったということを考えると、胸がすごく痛みます。そしてその痛みは永久に消えることはありません。


この事件はたまたま相手が日本人だったため、銃について日米でのとらえ方があまりにも違うことを明らかにしました。こちらでは44口径マグナムは鹿狩りをする人にはもっとも人気のある銃で、私もそのために所有していた。人を射つために持っていたのではありません。ヨシの父親は日本という国で生まれ育った人だから、自分の文化からしか物を見ない。私は銃があたり前のアメリカで育てられ、そういう文化の中で法律をきちんと守って生きてきたのです。


銃を所持する権利は憲法の中で守られ、さらにこの州では自分の敷地内に入ってきて危害を加えようとする人を射ってよいという法律がある。警官におもちゃの銃を向けて射殺されても文句は言えません。ホスト・ファミリーはそういうことを、つまり日米の差が大きいところをヨシにちゃんと説明していたのでしょうか。こういう悲劇が起きてからでは遅すぎます。ホスト・ファミリーになるとき、契約書には預かった予供を守るということが書いてあるそうです。その意から見ると、へイメーカー君の両親は手を抜いていたことになります。


私をそれほどまでに悪人にしたいのなら、彼らにも「そもそも2人だけで行かせたことがまちがっていた」とみんなの前で謝罪してほしい、そう思います。



励ましの手紙が何百通も


私は、弁護士のアドバイスで、自分の入っていた保険を使って、ザッカリーの心理学者に診てもらうようになりました。初めは一週間に3回、それから2回、1回、最後は二、三週間に1回になりましたが、彼女はいつも「どうしてこうなったかわからないのに、自分を責めてはいけない」と言っていました。また「生きていると、自分ではコントロールできないことがしょっちゅう起こるものです」とも言われました。


ウィン・ディキシーを事実上首になってから、収入がなくなって途方にくれていましたが、八、九週間経ったときメカニックの仕事が見つかりました。私は若いころから車の修理が好きで、いつもいじっていました。妻とは時間のすれ違いで、前のときより一緒にいる時間が少なくなり、とても辛かったです。しかし、精神的な結束は強くなった。私には11歳の義理の息子、9歳の娘、3歳半の幼児がいますが、子供たちは何が起こっているのか理解していなかったでしょう。一番下の子供は、他人が家に来るとこわがるようになりました。


弁護士のところには相変わらず取材の申込みが殺到しています。弁護士が一番心配していたのは、へたに取材に応じて、勝手に編集されて書かれたり、放送されたりすることでした。CNNのインタビューには、編集に立ち会うという条件で応じました。こちらの言い分がちゃんと言え、しかも、日本を含めて全世界に流されるということで。30分ぐらいのインタビューでしたが、17分ぐらいに編集されました。とにかく私を“悪人”にする編集の仕方には弁護士も怒っていましたから、CNNのインタビューはそのイメージを少しでも軽くするのに大いに役立ちました。


CNNのインタビューが放送される前は、「たまたま家をまちがえて訪ねてきた高校生を射殺した」と思い込んでいる人が多かったのですが、放送後、毎日のように全米から手紙が来ました。弁護士や私の住んでいた家に何百通もきました。3通ぐらいはuglyな(敵意のある)手紙がありましたが、残りはすべて私を支持し、励ましてくれるものでした。


その直後さらに取材が殺到しましたが、全部ことわりました。一番ひどかったのは People's Magazine です。ことわられた腹いせだと思いますが、私を本当に“悪漢”にしたのです。



日本ではかなり誤解されて


普通なら起訴もされない事件であることは弁護士も認めていましたが、マスコミの圧力と影響を非常に心配していました。私には無罪になるとは絶対に言わずに、最悪の事態に備えるようにと、いつも心の準備を要求していました。そのことを考えると気が狂いそうになりました。


弁護士は「このケースは日本ではかなり誤解されている」と言い続けていた。私も銃について日米にこれほど意識の差があるとは知りませんでした。


初めは裁判の日は3月15日と決められていましたが、アングルスビー弁護士がもうひとつ重要な裁判を抱えていて、同時に集中できないという理由で、5月17日に延ばしました。私としては早く終ってほしいという気持ちでした。裁判の日が近づいてくると、何をやっても手につきません。毎回が辛く、集中力がまったくなくなりました。裁判は、実際に起こったことに基づいて行われるので、すべての人が本当に何が起こったのかを知るチャンスであることには何の疑いもない。私に殺す意志がなかったことを証明するチャンスであることはわかっていました。けれど、もしそれが陪審員に伝わらなかったらどうしようという不安はつのる一方でした。


弁護士も日本やマスコミの圧力をかなり心配して、“有罪”になるかもしれないから、覚悟はしておけと言っていました。そう言われると、私には思考がストップするほどのショックでした。


法廷でどのように表現するのがいいのかと悩みましたが、証言の練習は特にしませんでした。ただありのままに言えばいい。たとえ弁護士にこう言った方が有利になると教えられても、私はありのままに言うしかできませんでした。ありのままに言ったことが陪審員たちの心にどう作用したかはわかりません。


ヘイメーカー君の証言を聞いていると、とにかく全部を言っていない。何かを隠している印象を受けました。自分にも落度があったというようなひびきでした。また、通訳の人も一字一句、全部訳していないのではないかという印象も受けました。


裁判中はできるだけそのことを考えないようにと努めましたが、最悪の事態(つまり有罪)になったときに、家族をどうしようかという心配がつきまといました。ただ、たとえ有罪になっても“刑”を決めるのは裁判官ですから、懲役ゼロの可能性もあるのです。最高40年ですが、私のようにずっと法律を守ってきたことを考慮に入れて、ゼロ年の可能性もある。


私はいつも父親に、「法律は守るために作られているので、たとえ同意できない法律でも守らねばならない」と言われ、厳しく育てられてきました。弁護士に言われた“圧力”や"politics"が陪審員に影響しないことを祈っていましたが、すぺて陪審員の手にまかせるしかなかったのです。評決を待っているときは、ひょっとして意見がまとまらずmistrial(無評決審理)になるかもと思っていました。そうなるとまた、endlessに待たねばならないと思い、気が遠くなりました。



心の中でThank God !


評決に入って2日後に審議中2回評決をとって、2回とも全員一致で無罪と聞いたときは本当に驚きました。無罪評決を聞いた瞬間は、心の中でThank God !と叫びました。陪審員たちに感謝する気持ちで一杯でした。でもそのときは実感が湧かず、翌日になってやっと安堵感を覚えました。


このケースは陪審員を含めて誰にとってもhardなケースで、勝利者なんていません。今でもそうですが、評決が出てから一度もhappyな気持になったことがありません。何をやってもヨシの命に代えられるものはないからです。


今でも、「ヨシは一体何が起こっていたのかわかっていたのだろうか?」と思うと胸が痛みます。私には本当に射殺する意志なんてなかった。でもヨシの私への近づき方は今まで見たことがありませんでした。彼に自己防衛の気持ちはなかったのだろうかと思ったりもします。


私は誰に対しても偏見がないし、持ったこともありません。これからも持とうとは思いません。日本に対しても偏見を持っていない。同じものを作っても日本の方がいいものをつくるし、この事件で日米関係を悪化させたくないのです。私が人を見るときはその人の人格で見るのであって、一人の人の行動だけでその国全体を評価はしません。世界中に善人がいます。


ヨシの父親が初めにバトンルージュに来たときに、私は彼に会って何が起こったか説明しようとしました。弁護士がヘイメーカー家に電話を入れ、アレンジしようとしましたがことわられました。ヘイメーカー家が邪魔をしたのです。父親は本当に何が起こったのか知りたかったと思う。少なくとも一方的な話しか聞いていないわけですから。

評決後、父親は私に会いたいと言って条件を出しました。ガン・コントロールの署名を大統領に一緒に持っていってほしいと言われた。私にガン・コントロールの問題を取り上げることを期待しているのです。


私はノーと言いました。会うなら2人だけで会おうと言ったのですが、ダメでした。彼は私をテレビに出させて全世界の前で謝罪させようとしているのです。もうそっとしておいてほしい。私も妻もアメリカの普通の市民なのです。

このケースは単純なケースで、ガン・コントロールも人種差別も関係ありません。ヘイメー力ー家も一緒になってガン・コントロールの署名を集めていますが、彼らもこの事件がガン・コントロールの問題に関係ないことを理解してほしい。


評決後、NRA(全米ライフル協会)から電話が入りましたが、私ははっきり「どちらの立場もとらない」と言いました。ガン・コントロールの問題を大きくしていくのは、彼らの権利ですが、それに私がかかわらないからといって、私に反感を覚えるのはやめてほしい。


この事件は本当に悲劇だった。私に殺す意思があったのなら話は別ですが。この事件には他にもいろいろ責任があったことを忘れないでほしい。いろいろな状況が重なって起きたことを忘れないでほしい。でも責任のなすり合いはしたくないんです。


2つの組織が司法省にこの事件を調査するよう依頼したということですが、この事件から、何か事を起こそうとするのは悲しいことです。時計を戻して、すでに起こったことを変えることはできません。どちらの立場もとらないという前提で、一つだけガン・コントロールについて言うと、いくら厳しくしても犯罪者がいつも銃を持っていることには変わりありません。規制を厳しくすれぱするほどよき市民に打撃を与え、アメリカはさらに一層危険な国になるでしょう。



評決から日本も学ぶことが


殺人、射殺という言葉はたとえ殺す意志がなくても無罪になりようがないほど重く響く。少なくとも日本からみるとそう思える。人を殺してどうして無罪になるのかという索朴な疑間はどんな理由を聞いても納得いかない、受け入れられないと思う人が多いだろう。


しかし、銃社会、銃文化の中で生まれ育った人は、銃を人に対して使っていい時があり、合法な場合がある。

自分が悪人ではない、普通の市民であることをピアーズ氏は繰り返し強調した。話している間も決して幸せそうな表情は見えなかった。何もわけのわからないままに死んでいったヨシのことを思うと胸が痛むし、その痛みは自分の心から永久に消えることはない。だからもう許してほしい。そういうふうに私には聞こえた。射ってしまって殺したことに変わりはないが、そこに至るまでのいろいろな状況を知ってほしい、わかってほしい、そういう切実な願いがこめられているように見えた。


無罪評決の意味はいろいろあるだろうが、そこから日本も学ぶことがあるのではないだろうか。

「ヨシの冥福を心から祈っていることはわかってほしい。今はここまではき出して、胸がかなりすっきりした」。

ピアーズ氏は最後に一言、そういった。

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