アジア経済安定のために日本ができること ジョセフ・スティグリッツ(コロンビア大学教授) 月刊Voice 2010年2月号

月刊Voice 2010年2月号

日本経済 こうすれば立ち直る

円の価値がさらに上がる時代

アジア経済安定のために日本ができること

ジョセフ・スティグリッツ(コロンビア大学教授)



アジア通貨の全体的な切り上げ


円高が進んでいます。経済的なファンダメンタルズ(基礎的事項)はアメリカに劣らず日本は悪いにもかかわらず円高傾向にあるのは、皆リスクに対して認識を強め、資本をそのままにして、円キャリートレードのような投資を行なわない傾向にあるからです。それが円高につながっているように思います。


日本は円安のほうが圧倒的に恩恵を被ります。輸出に注力することはきわめて重要です。現在のように円高であれば原料を仕入れるのは安くなりますが、あくまでそれは二次的なものです。いま日本にとって必要なことは需要を増やすことであり、さらなる円安が求められているといってよいでしょう。


ただし、日本は資源かない国なので貿易に頼るしかありませんが、内需も同様に強化しなければ、最終的に経済が回復することは難しいでしょう。現状ではいつ日本経済が立ち直るか、目処が立たない状態ではないでしょうか。


おそらくこれからドルはますます弱くなっていくように思います。現在のドル安がいつまで続くかはわかりませんが、将釆起こりそうなインフレが、ドルの価値に重くのしかかっていることは明らかです。


現状が変わらなければ、円高がさらに進むでしょう。実際にそうなる確率は高いと思います。アメリカの財政赤字がいまよりさらにひどくなるからです。しかしドル安が進んで1ドル=80円ぐらいになれば、それを日本が放置しておくわけにもいきません。政府の介入が必要になってくるように思います。


これから起こるだろうもっとも重要な変化の一つは、中国人民元の切り上げ、および自由化への漸進的な動きです。この動きはドルに対するアジア通貨の全体的な切り上げにつながり、円のドルに対する価値を上げることにつながる可能性があるでしょう。



次の基軸通貨は何か


現在のドル安を目にすれば、いよいよ「ドル覇権の終わり」を予感する人も少なくないのではないでしょうか。事実、ドル自体に高いリスクがあることは明らかです。アメリカの財政赤字の蓄積、あるいはFRB(連邦準備制度理事会)のバランスシートの膨張を見れば、誰でも、リスクがあると懸念せざるをえません。FRBは「心配ご無用、過剰流動資金を必要なぶんだけ巧みに取り除く」といっていますが、この10年間、FRBが行なってきたことを注視してきた人であれば、その言葉を信じることはないでしょう。


おそらくインフレを避けることができたとしても、もう一度リセッションを経験することになるかもしれません。結果がどう.あれ、FRBかうまく事に当たることができる可能性は小さいと思います。


ドルとは対照的に、リーマン・ショック後、一時期ユーロは売られましたが、いまは買い戻されています。ユーロかドルに取って代わりつつあるような勢いを感じます。あるいは中国人民元がいずれ基軸通貨になるのではないか、という議論も盛んになっているようです。


しかしおそらくこれからも、商取引において、投資において、さらには正式な外貨準傭高として、ドルは基軸通貨でありつづけるでしょう。たとえば中国人民元が基軸通貨になるためには、中国経済が人民元を輸出できる力をもたなければなりません。いまだ中国は資本移動が自由化されていないので、人民元は国際化することができないのです。おそらくいまから20~30年たてば、人民元の金利も、為替レートも自由化するでしょう。それか実現して、初めて人民元は国際化したといえるのです。


逆にいえば、そういう意味でも20~30年は、ドルが基軸通貨でありつづける、ということです。もちろんドルの役割がある程度下落するのは避けられませんが、むしろそれは望ましいこと、といってよいのかもしれません。


振り返ってみれば、いまから20年前、ドルの正式な外貨準備高におけるシェアは、現在よりも小さいものでした。以来、少しずつその役割は大きくなってきましたが、それは円の国際的な役割が小さくなったことにも起因しています。


先ほど述べたように、もし中国人民元が交換可能な通貨になれば、世の中は3つの主要な準備通貨(ドル、ユーロ、)と数個のマイナーな通貨(ボンド、円、スイス・フラン)がある状態になるように思います。


しかし、2、3の通貨を基にした準備通貨制度は、1つの通貨を基にしたシステムよりもさらに不安定なものになるかもしれない、ということが、私が座長を務める国連専門家委員会の出した結論でした。


現行の体制に基づいた準備通貨制度は不安定であるばかりではなく、それがグローバルな不安定さを助長しています。現在、発展途上国はその不安定さから自らを守るため、何千億ドルというお金を使わないで、貯蓄するようにしていますが、これはかつて起こったアジア通貨危機を教訓にしています。BRICs各国も現行の体制に基づいた準備通貨制度に対しての危惧をあらわにしていますが、それはますますグローバルな準備通貨制度をつくらねばならない、という委員会の考えを支持するものです。



危機を防止する日本円の力


新しいグローバルな準備通貨制度づくりについて、国連専門家委員会の報告書には具体的な方法がいくつか記してあります。新しい国際準備通貨制度の経営責任をIMF(国際通貨基金)に与える、という考え方ができるように思います。いまのところIMFは唯一の準備通貨であるSDR(特別引出権)のみを発行していますが、そこに新しいシステムを立ち上げることもできるでしょう。あるいは、その責任を「国際準備銀行」といった新しい機関に与えることも可能であると思います。


新しい準備通貨制度はグローバルな平等性にも貢献しすます。今日のシステムにおいては、発展途上国は数兆ドルの準備通貨をアメリカに実質ゼロ金利で融資していることになります。いってみれば、これはアメリカに対する援助です。アメリカはかなりの額の援助を必要としているという人もいますが、世界でもっともお金持ちの国が貧しい国から援助を受けている、というおかしさが存在しているわけで、「公正なシステム」ではないでしょう。


グローバルな準備通貨制度というアイディアは、比較的古くからあるものです。ジョ.ン・メイナード・ケインズはブレトン・ウッズ体制の発足時、強い説得力をもって「バンコール」という世界通貨の創設を訴えましたが、当時のアメリカはそれを拒否しました。しかし、いまこそその時期が到来している、といっても過言ではないと思います。実際にわれわれの委員会が国際準備通貨制度の議論を開始してから、各国から支持、あるいは好意的な反響が寄せられています。これからさらに国際準備通貨制度は議論の中心に据えられることでしょう。


ちなみに日本の鳩山首相は「アジア共通通貨」の可能性を議論しています。それについては、私のコロンビア大学の同僚であるロバート・マンデルかが重要な論文を発表しています。マンデルは私より2年早い1999年にノーベル経済学賞を受賞していますが、「最適通貨圏理論」がその受賞理由です。


つまり、異なる国がその共通通貨に加わるためにはどのような条件が必要かについて、研究を行なったのです。彼はユーロの構築にも大いに貢献し、「ユーロの父」とも呼ばれていますが、その研究を引用すれば、現在の東アジアにおいて、共通通貨に必要な条件はまだ整っているとはいえません。


その条件には、経済上のショック(バブルがはじけるなど)が各国で似たようなレベルであると考えられること。さらにはショックを補完する調整メカニズム(人の移動や財政上の補償など)が類似していることなどか挙げられます。ヨ-ロッパでさえもそれは難しく、それはイギリスとスウェーデンがユーロ加盟を拒否した理由です。しかもその二カ国はEUに加盟して何年かたっているにもかかわらず、ユーロには加わらなかったのです。


むしろ、アジア通貨危機後に日本が打ち出した「アジア通貨基金」構想が非常に重要なものであったと思います。私も強く支持しました。チェンマイ・イニシアティブはその構想に向けた重要な前進で、これは東アジア域内で同じような通貨危機再発を防止する二国間通貨スワップ取り決め(通貨交換の形式により、短期的な資金の融通を行う取り決め)のネットワーク構築などを内容とするイニシアティブのことです。


2009年、日本とインドネシア間でチェンマイ・イニシアティブに基づく二国間通貨スワップ取り決めの増額が行なわれましたが、これもまた、「アジア通貨基金」に向けてのステッブであるといえるでしょう。



G20より民主的な新機関を


そのようにして、リーマン・ショック後、これまでには考えられなかった議論が行なわれるようになりました。今回の経済危機が大恐慌以来、最悪の危機であったことは明白で、危機に対する各国の対応はとてもユニークでした。G8は自らが十分な仕事を行なっていなかったことを認め、G20は、その政策に欠陥があったために危機か起こったことを確認しましたが、最終的には全世界を含めたG192が必要です。つまり、国連が対処するということです。


この1年、私は国連のイニシアティブを歓迎し、先ほど述べた国連專門家委員会の座長を務めて危機を分析し、力強い景気回復のためだけではなく、再び危機を防ぐためには何をすべきかを議論してきました。委員会は世界中のさまざまな分野、バックボーンをもつ人々から構成されており、政府関係者だけでは広く民間人も入っています。われわれの報告書は100ページを超えるものになりましたが、そこで明白になった事実は、われわれは危機の前に存在していたシステムに戻ってはならない、ということです。


政策を危機の前、つまり2007年以前のものに戻すべきと考えている人もいますが、その発想は根本的に間違っていると思います。この危機は偶然の産物ではなく、人間が自らの手で生み出した人為的なものであるからです。政策の欠陥、さらには政策を推進した制度の結果、危機が生じたことを肝に銘じなければなりません。


つまるところ、金融システムがcreditworthiness(信用性)について、きちんとお金を返済できるかという査定を間違えたのです。それ一つとっても、これは制度上の失策であり、危機が偶然起きたものではないことがわかるはずです。


アダム・スミスは個人による利益追求の結果、「見えざる手」によってそれが社会の幸福や利益につながると主張しましたが、アメリカのバンカーたちの強欲がアメリカや世界の幸福につながることはありませんでした。私の考えによれば、「見えざる手」が働かないのは、その手は実際にはそこにないからです。すなわち市場というものは、政府の規制なしではうまく機能しません。その証拠を今回の危機で、われわれは目の当たりにしたといってよいでしょう。


われわれの委員会が最終報告で提唱したのは「グローパル・ガバナンス」です。つまりはグローパルな経済調整諮問委員会の創設で、これはたんなる調整役ではなく、グローバルな経済構造の欠陥を特定する役割も担います。具体的には、IMFを補完する新しい国際信用供与機関、そして特定の国のブロックである今日のG20よりも民主的な新機関である国際経済協調理事会が必要などの提言を行いました。


しかし、まだ新しい制度設計は進んでいないように思います。いまもっとも必要なことは規制システムの強化であり、「あまりに大きすぎで潰せない」銀行について透明性を増大させ、過剰なリスクテイキングを制限することですが、残念ながら、それは重要な課題であると見なされていません。金融規制についてはほとんど手付かずの状況で、じつに期待外れといってよいでしょう。


本来ならば、金融システムを再構築するため、この危機を絶好のチャンスとして利用すべきでした。金融システムのなかで長期的な成長に寄与する部分を強化し、投機に寄与する部分を弱体化させるべきだったのです。しかし現実には多額の税金が投入され、世界中の納税者か犠牲になり、銀行は救済されて焼け太ってしまいました。


アメリカは銀行を救済する以前、貧しい子供たちのために健康保険を提供する法案を可決しましたか、ブッシュ前大統領は拒否権を発動しました。理由は、財源がないということでしたが、その金額は20億~30億ドルです。その数ヵ月後、一つの会社を救済するために1800億ドルを使ったことについて、理解を示すことのできる人がいるでしょうか。


考えてみれば、これまでもデリバティブやクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)において、効果的規制をした例がありません。それどころか、1999年に可決されて翌年から施行された商品先物近代化法は規制を禁止する法律でしたが、いま考えてもそれはひどい失策でした。



2010年、「二番底」はやって来るか


今後の見通しを考えたとき、日本と世界の経済はどのような動きを見せるのでしょうか。


2009年11月末には、ドバイ政府が政府系持ち株会社である「ドバイ・ワールド」の債務返済繰り延べを要請すると発表したことに端を発する「ドバイ・ショック」が起き、全世界的な株安か起こりました。この株安は欧州系銀行の債権焦げ付き懸念が引き起こしたものでしたが、『ニューヨークタイムズ』はドバイの動きを「現金かなくなって住宅ローンが払えなくなり、銀行に半年間ローンを払わないで済むよう頼んだ住宅所有者のグローバルなバージョンに相当するものである」と巧みに表現しました。株式市場にも悲観論が広がって、日本経済も打撃を受けたことは記憶に新しいように思います。


大規模な財政出動が行なわれているときに、安心してしまってよいかのように錯覚してしまいますが、問題は財政出動が終わる2011年にやって来るように思います。私が見るところ、現在の調子が続けばいわゆる「二番底」を経験する可能性もあります。日本はもうそれを経験しているかもしれません。


「二番底」の従来の定義はマイナス成長になることですが、2009年第4四半期まではプラス成長が続くでしょう。それがいずれマィナスになるか、1%あるいは0.5%で踏みとどまるかは明らかではありませんが、マイナスにはならない可能性が大きいと思います。リーマン・ショック以来、在庫削減が過剰に進んでいるからです。現在、われわれが経験しているのは在庫の補充であり、それは経済の落ち込みに不釣り合いであるほど過剰反応した状況に対する埋め合わせといってよいでしょう。


しかし、これまでのシステムに戻ってはいけないという論点を踏まえ、本質的なところに議論を進めるならば、そもそもわれわれは、GDPで経済を測るという振る舞い自体を変える時期に差し掛かっているのかもしれません。


一国の経済が好調である、あるいはそうでないという指標としてGDPが使われますが、人々の生活が貧しくなっているのにこの数字が上昇するというfalse measure(誤った測定値)になることがあります。より適切な指標として何を使うべきかを考えることです。誤った指標に基づいて政策を考えれば、その政策自体が間違ってしまうからです。


そのような動きの一つとして、数年前にフランスのサルコジ大続領は「新経済発展指標開発プロジェクト』を立ち上げ、国民の幸福度を正確に測定する方法を考案しようとしました。私も趣旨に賛同し、そのプロジェクトに参画しましたが、いま求められているのは真の国民の幸福度を表す指標です。もっと「生活の質」と「持続可能な発展」を考慮した「幸福指数」が必要なのです。


「生活の質」には医療サービス水準、休暇の日数、平均期待寿命などが含まれます。「持続可能な発展」には環境保護水準などが入ります。いずれもGDPにはない要素です。


GDPが国民の幸福度を正確に反映していないという認識は音から存在していましたが、それに対して具体的なプロジェクトを立ち上げたのはこの動きが初めてといってよいでしょう。


これに対して「幸福度を測る指標」は存在しないという反論もありますが、世界の反応は概ね賛成の方向です。GDPの数字だけにごまかされず国の経済の状況を把握するという大方針転換もまた、これからの経済を考えるうえで不可欠なものであるといってよいのではないでしょうか。

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