フランシス・フクヤマ 米保守きっての論客が看破する「アメリカの時代」の終焉 ネオコンの思想的破綻でアメリカの外交政策は「1940年代」に回帰する SAPIO 2007年1月24日号

SAPIO 2007年1月24日号

フランシス・フクヤマ/Francis Fukuyama

米保守きっての論客が看破する「アメリカの時代」の終焉

ネオコンの思想的破綻でアメリカの外交政策は「1940年代」に回帰する


「ネオコン(新保守主義者)」の時代は終焉を迎えるのか。イラク統治の失敗、それによる米中間選挙の敗北、そしてラムズフェルド国防長官の解任と、これまでのアメリカの外交政策を一手に握っていた「ネオコン」が劣勢に立たされている。そんな中、16年前、著書「歴史の終わり」で、アメリカ式覇権主義の正当性を論じ、クリントン政権時代は「対イラク強硬策」を主張した「タカ派」きっての論客が、「アメリカの終わり』を上梓し、「ネオコン」との訣別を宣言した。その著者がブッシュ政権の下、「本来の姿から逸脱してしまった」というネオコン帝国の失墜を語る。


12月15日国防総省で行なわれた辞任セレモニーで、ブッシュ大統領はラムズフェルドについて「国をリードする方法がわかっている人」だと賞賛し、ディック・チェイニー副大統領も声をそろえて「この国が今まで有した国防長官の中で最もすばらしい長官」であると絶賛した。さらにその席上ブッシュは、ラムズフェルドのイラク処理について、大胆にもこう言い放った。


「ラムズフェルドの監督の下で、米軍はイラク人が中東の中心で、憲法に従った民主主義を確立するのを助けた。それは自由の物語の中で、重大な分岐点となった出来事である」


この発言に私は耳を疑った。ラムズフェルドの辞任、いや追放の原因になったイラク侵攻や戦後処理の失敗について、謝罪とはいかずとも何らかの弁明があると思っていたが、弁明どころか、これまでの政策を無批判に賛美したのである。もちろん、自らの間違いをブッシュ当人が容易に認めることは政権運営上都合の悪いことは、理解できる。だが、先のイラク情勢が争点となった中間選挙での大敗の後である。その言葉はたちの悪い冗談としか聞こえない。


たしかに、現在ブッシュ大統領は、ジェームス・べーカー元国務長官が先導する超党派組織「イラク研究グループ」が最近出した報告書に従って、表向きには、外交政策を180度転換するような素振りを見せている。だが、私はこの発言こそがいまもブッシュの本音であると考えている。


しかし「ネオコン」に対する風当たりは予想以上に厳しい。いまだにメディアに登場し、イラン爆撃を提唱しているネオコン論客を目にするが、以前のように彼らの声に真剣に耳を傾ける者はあきらかに少なくなっている。議会だけではないホワイトハウス内でも同様である。「ネオコン」が政策に影響を与えることは今後大幅に激減することは避けられない状況なのだ。



イラク侵攻前からあったネオコン退潮の兆し


そもそも私がネオコンとの決別を宣言したのは、イラク侵攻の9ヶ月前であった。それまでポール・ウォルフォウィッツ前国防副長官の下、政策立案にも関わり、クリントン時代は「対イラク強硬論」を主張してきた、いわゆる「タカ派」であった。そしてイラク侵攻にいたるまでのー年間は、対テロ戦争におけるアメリカの長期的戦略の研究に加わった。だが、その過程で、対イラク戦争には意味がないと最終的に判断するにいたった。「ネオコンは、政治的な信条としても思想としても、私には支持できないものになってしまった」これが結論である。“なってしまった”と言うのは他でもない、以前とは変容してしまったということだ。


もともとネオコンは首尾一貫した、いくつかの基本理念に基づいて行動していた。そして、冷戦中の内政・外交の両面で打ち出した政策はおおむね理に適ったものだった。ただし、その理念は様々な解釈が可能であり、90年代には、「過度に」軍事力を重視する外交政策を正当化する政策に利用された。その帰結がイラク戦争だったのである。


そして奇しくも私の危倶は、現実のものとなってしまった。



「向こう見ずのカウボーイ」と見なされたネオコン


では、その「基本理念」とはどんなものであったか。そしてブッシュとネオコンはその「基本理念」をどう変容させたのか。


ここ数年、注目されるようになったネオコンだが、その歴史は古い。ルーツは1940年代まで遡り、複雑な歴史を辿ってきた。


ネオコンの源流は、1930年代半ばから40年代、ニューヨーク市立大学(CCNY)に通っていたユダヤ人学生を中心とする優秀なグループにある。彼らは当初、左翼政治運動にのめりこんでいた。だが、スターリン体制の無原則な態度、残忍さを目の当たりにし、1930~40年代に「現実に存在する社会主義」は、本来目指すべき理想主義的な目標を徹底的に台無しにした「意図せざる結果」を生んだと考えるようになった。そしてその後30年ほどにわたって、「極端に走る善意が持つ危険」ということが、このグループの多くが主張するテーマとなっていく。


右への転向は、スターリンのテロ政治の実態を知ったからだけではない。第2次大戦で資本主義であるアメリカがナチス・ドイツと日本との戦いに勝利し、アメリカが無限とも思える力を発揮することで世界に「道義的にきわめて良い結果」をもたらしたと認識されたからでもある。


そして冷戦の緊張が高まる中、マッカーシズムによる赤狩りが横行する時代背景を受けて、さまざまな論争が巻き起こり、左翼からの離脱がますます増加、ネオコンの隊列は膨張していく。ネオコンの言葉の由来は、元々左翼主義だった人が、一種の保守王義に転向したので、ネオ(「新しい」という意味)コンサーバティブと呼ばれる。


このように、大胆に社会改造を求めていけば、かえって社会は悪い状態になるという「社会改造の限界」は、ネオコンの基本理念のひとつとなる。「ネオコン」の基本理念はさらに3つ挙げられる。「民主主義・人権、さらに各国の国内政策を重視する姿勢」。前述したが「アメリカの力を道徳的目標に使うことが出来るという信念」「重大な安全保障問題の解決策に当たって、国際法や国際機関は頼りにならないという見方」である。


ちなみに、アメリカの外交政策にはネオコン以外に3つの異なる立場がある。①パワーポリティクスを重視し、異なる体制の抱える国内問題や人権の持つ意味を軽視する傾向にある「キッシンジャー流アナリスト」②パワーポリティクスを乗り越えて、法と制度による国際秩序に進もうと望む「リベラル派国際主義者」③アメリカの国益を安全保障に関した狭い見方で捉え、多国間協力に不信感を持つ傾向にあり、それが激しくなると排外主義や孤立主義に傾く「ジャクソン流ナショナリスト」である。


その中にあって、ネオコンは冷戦時代の大部分、まだ小さな、蔑まれた少数派であった。その思想の多くは最終的に、レーガン政権によって実行に移されたが、アメリカ外交政策のエスタブリッシュメントである、国務省の官僚機構を動かす人たちや情報活動にあたる諸機関、国防総省、シンクタンク、学者らは、およそネオコンを軽視していた。例えば、ベルリンの壁崩壊といった共産圏の自滅とも言うべき、誰もが可能性すら想定できなかった打開策を目指していたことに、ヨーロッパ人からも「単純すぎる道徳論者」や「向こう見ずのカウボーイ」として見られるのが普通であった。だが、1989年突如として共産主義が崩壊し、自分たちの考え方のかなりの部分が正しかったことが証明される。それ以降ネオコンは時代の主流としての地位を築いていった。



レーニン主義化した「ネオコン」の暴走


このように「ネオコン」の当初の主張は、世界のすべてが「自然と」西側、特にアメリカのようになっていくという、私の記した“歴史の終わり”のテーゼに乗って変化していくものと思われた。


だが、その考えを大きく変える契機となったのが「9・11」である。「テロ」というまったく新しい課題にいずれの外交政策も明確な答えを出せない中、ブッシュは歴史には積極的な方向付けが必要だとし、体制転換こそが対テロ政策で決定的な意味を持つと考えたのである。「民主主義はいつの日にか世界的に広がっていく」という私の見方は、言い換えれば、積極的なレーニン主義外交政策のように変容していった。皮肉にも本来ネオコンがもっとも忌避していた政策である。


そして、冷戦戦略の中心であった抑止と封じ込めに依存するのではなく、アフガニスタンやイラクのように、テロの予防としての先制攻撃を新戦略ドクトリンとして打ち出していく。ここにネオコンの根本戦略の一つである「社会改造の限界」は無視される。


さらには、「善意による覇権」を強硬に推し進めることによって、世界中に反米感情が起こり、侵攻後の体制転換がますます困難になるという予想もできなかった事態を招いた。


ブッシュの過ちは、このように「ネオコン」の本来の意味を逸脱したことによって、起こりうる事態を予想していなかったことにある。イラクを簡単に平定して、社会改造ができるものと高を括っていた。


さらには、イラク戦争を積極的に推し進めた人たちは主戦論に熱中しすぎて、「アメリカの力を道徳的目標に使うことができるという信念」を曲解し、ハードパワーを使ってそれを実行した。本来、「ネオコン」にとってハードパワーの行使は必ずしも必要なものではなかったのである。


変容したネオコンが失敗した以上、私は、これからアメリカのあるべき状態は、1940年代後半からの約10年間の体制だろうと考えている。マーシャルプラン、トルーマンドクトリンの時代で、国連、NATO、ブレトンウッズ体制など、国際機関が立て続けに設立され、日米安保条約もこの時期に締結された。


ネオコンの政策を理想的な部分を引き継ぎながら、国際機関についても新しい視点から見直すことが出来る。つまり、単独行動主義ではなく、国際機関を重視する「多国間主義」が理想的な形なのだ。これは「重大な安全保障問題の解決にあたって、国際機関は頼りにならない」というネオコンの基本理念とは異なる新しい外交の姿だ。


とはいえ、私は別にハードパワーを使うことに反対しているのではない。それが必要であることはバルカン半島や冷戦で強く認識した。だが、最近の世界の民主化はハードパワーではなく、ソフトパワーの結果によってもたらされていることを認識しなくてはならない。



フランシス・フクヤマ/Francis Fukuyama

PROFILE/1952年アメリカシカゴ生まれ。父は日系2世、母は日本人。コーネル大学で西洋古典学を学んだ後、ハーバード大学大学院で政治学博士号を取得。ランド研究所を経て、1981~82年、89年の2度、米国務省政策企画部で中東、欧州を担当。89年ベルリンの壁崩壊直前に発表した論文「歴史の終わりか?」が話題になり、後に「歴史の終わり」として刊行。最新刊に「アメリカの終わり」(講談社)。現在はジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)教授。

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