国際ジャーナリスト 大野和基
著書・訳書

月刊文学界 2006年8月号
カズオ・イシグロ/Kazuo Ishiguro

『わたしを離さないで』 そして村上春樹のこと


一種のミステリーとも読める最新作の意図とは?日本で育った幼年時代から作家としての作法、最も気になる現代作家・村上春樹まで旺盛に語る。

- 最初に、最近邦訳が出た『わたしを離さないで』について、お聞きしたいと思います。ご存知かもしれませんが、この前来日されたときにあなたにインタビューした、翻訳家の柴田元幸氏が、この作品についてこう書いておられます。「その達成度において、個人的には、現時点でのイシグロの最高傑作だと思う」。これについてどう思われますか。

イシグロ 翻訳本を見ていないので、そのことは知りませんでしたが、お褒めの言葉をいただいて、とても気分がいいですね。ありがたく思います。私は51歳になりますが、とりわけこの年になると、最新作が、少なくとも以前の作品よりも劣っていないという評価を受けていると思うことは、いつも嬉しいものです。小説家が、作品を発表し続けるということは、時には難しいことがありますから、これを励みにしたいと思います。
カズオ・イシグロ

- これは一切予備知識なしに読んだ方がいい小説だと思いますが、その上であえてお聞きします。『わたしを離さないで』にはクローン技術や臓器移植が主要なモチーフとして埋め込まれています。この作品を読んで、テキサス州にある、ヒヒの養殖場を思い出しました。そこでは臓器移植のためだけに、無薗状態でヒヒが養殖されていますが、昔、ピッツバーグ大学医学部で、ヒヒの肝臓が人間に移植される手術を観察して、長い記事を書いたことがあります。13時間にもわたってずっと観察しましたが、もしその養殖場のヒヒが、人間に置き換えられたら、主人公たちが育つ施設ヘールシャムと同じような場所になりますね。

イシグロ その養殖場のことは知りませんが、へールシャムと同じような場所ではないかもしれません。へールシャムはかなり特殊な場所で、昔ながらの自然農法に相当するようなやり方で営まれていると思います。クローンたちはとても大事に扱われます。ですから、同じようなセンターと比べても、まったく違います。そこで子供たちは、我々が言うところの最高の教育を受けて育てられます。しかも、特定の理由があっての教育です。彼らは自分の運命を知らない上に、自分がクローンであることが何を意味するのかもよくわかっていません。牧歌的な子供時代に近いと言ってもいい。

- この小説のために、特別な世界を作らなければならなかったのですね。

イシグロ そうです。

- 言わば、それ自体で閉ざされた世界ですね。

イシグロ ある程度はそうです。私はこの世界を子供時代のメタファーにしたかったのです。つまり、中にいる人は、外界が十分理解できないということです。子供が生きている、言うならばバブル(気泡)の中に流れ込む情報を、大人たちがかなり慎重にコントロールできる場所です。我々は、もちろんいろいろな点からみても、このような施設の中で成長するわけではありませんが、大人の中で生きていても、子供時代というのは、こういうものだと思います。精神的な面からみると、予供というのは言わばこのようなバブルの中に入れられて、それはまったく正しいことなのです。予供を人生の厳しい現実から守るためです。成長するにつれて自分たちを待ち受けていることについて情報を拾い集め、子供同士でいろいろ話し合うのです。ですからある意味で、物理的に外界から分けられているこのような施設を設定することで私は、子供時代がどういうものであるかを象徴させたかったのです。読者は(子供の気持ちになり)外で何が起こっているのか、と想像するでしょう。それで、へールシャムという場所を作ることに関心を持ったのです。

- これを読むと、外で何が起こっているかわからない、特殊なカルトを思い出します。

イシグロ そうですね。でも私がこの作品で言おうとしたことは、子供時代というのはすべてこういうものだということです。もちろんこれはかなり特殊な状況です。でも、あるレベルで言うと、それは我々の子供時代と同じです。外界で起きていることの多くのことが理解できないのです。言葉だけを聞いても実際にはそれがどういうことを意味するのかわからないのです。あまり経験がないからです。

- ある年齢まではそうですね。

イシグロ ある年齢に達すると、外で起きていることにわくわくし始め、怖くなったりもするのです。大人は非常に慎重に、そのバブルの中に入れるべき情報と入れてはいけない情報をコントロールします。ですから、本の最初の部分では読者に、奇怪なクローンの子供が育てられるとても特異な世界であると感じてほしいのです。そして、徐々にその世界が、我々が予供として経験することにとても似ていることに気づいてほしいのです。子供から大人に向かう、すべてのプロセスがそうです。もちろん本の最後の方では、そういう予供たちも大人になり、年を取ることを受け入れ、死は不可避であり、身体も弱くなり、死んでいくことを受け入れるようになることを言おうとしています。本のどの局面でも、このようなクローンの子供について、奇怪な話があります。私はそれが、普通の人間の人生を生きていく過程の反映になるように、かなり入念に書きました。


これはミステリー小脱ではない

- 読者がどんでん返しを感じたり、物語の先が待ち遠しくなったりするよう全編にしかけをしたのですか。そのことで読者の好奇心を刺激したり、満足させようとしたりしたのでしょうか。

イシグロ 本全体にわたって、奇怪さが絶えず少し存在するようにしましたが、読者を刺激しようとしたわけではありません。読者に、子供と同じ立場に立ってほしかったのです。普通、子供についての本を読む読者は大人で、子供を待ち受ける世界についてすでにわかっています。つまり子供を上から見下ろすところにいるのです。我々は子供がかわいいと思ったり、見下したりします。子供がわかっていないことを、我々はわかっているからです。ですから、この本では、違った効果を作り出したかったのです。大人の読者でさえも、社会のルールが何なのか、皆目見当もつかないほど、変わった世界を作り出したかったのです。

- とても現実離れした世界ですね。

イシグロ その通りです。わかってくれますか?大人の読者にも同じ奇怪さや恐怖のプロセスを経験してほしかったのです。子供や若い読者が経験するのと同じようなことが、徐々に分かっていく過程です。どの局面でも、子供が知る以上に読者に知って欲しくなかったのです。だから、ミステリー感がつきまとうのです。決して読者を刺激しようとはしていません。予供が大人になっていくときに、どのように感じていくのかを読者に再度味わってほしかったのです。そして人生の後になって、大きな疑間が出てくるのです。

- 「わたしの名前はキャシー・H。」と、映画のナレーションの始まりのように、かなり抑制されたトーンで始まりますね。特にはっきりした姓がないので、どういう展開になるか、最初から謎めいた印象を受けます。途中で、読者に種明かしをしますが、いつそれをするかが、かなり重要だと思います。いつ種明かしするかについてどれほど熟考しましたか。

イシグロ いえ、私はそれほど意識的にそのことを考えませんでしたね。自分にとってはそれほど重要ではなかったからです。これは、慎重に隠さなければいけない決定的な情報がある、殺人ミステリーではありません。本を出版して初めて、多くの読者がこの本はとてもミステリアスだと思ったことに気づいたのです。特に書評家が、書評を書くときに、どれだけ明かしたらいいのか、悩んだことに気づいたのです。このことが問題になっていると気づいたのは本当に最近になってからです。私が書いたときは、読者は徐々にわかってくれると思っていたのです。軽いタッチで書けば、読者はこの世界を理解してくれると思ったのです。クローンの話もすぐにわかってくれると思っていました。この小説は最初から読者が結末を知っているかどうかは、重要ではないと思います。一旦答えを知ってしまうと、話がうまく続かなくなるというようなミステリー小説ではないからです。(ミステリー小説のように読もうとすると)あまりにもミステリーの部分が大きすぎて、最初に読んだときは、出てくる人物はどんな種類の人問か、この世界はどのように動いているのか、という問題にはまってしまうでしょう。それで、読者は他の面にそれほど注意を払わなくなります。サスペンス性がそれほど大きな問題になることがわかっていたら、もっと最初の方で事実の部分を明かしていたかもしれません。そうすると読者は他の面やテーマにもっと留意することができたかもしれません。

- 読者にとっても、書評家にとってもその方がよかったかもしれませんね。

イシグロ その問題で自分自身悩んだことがありませんから、気づきませんでした。

- いつ種明かしをするか、読者にできるだけ知らせないようにしたと邪推してしまいました。

イシグロ 読者をひっかけようとしたわけではありません。後になって、初めて、いろいろな人が「そうだ、我々がやっと気づいたのはこの辺だ」と言っているのに気づいたのです。あくまで、子供たちが何が起こっているのか十分に理解していない状態で、大人になるにつれルールがわかってくる世界を描きたかったのです。


「死」とどう向き合うか

- ご存知かもしれませんが、自分の運命や役割に対する、登場人物のどうしようもないほど消極的な生き方に疑間を抱く読者もいます。しかし我々がもし登場人物のような状況に置かれたら、他人の運命のように感じてしまうのではないでしょうか。きっと何も出来ないでしょう。例えば第二次世界大戦の日本の特攻隊やイラクの自爆犯も、自分の運命に疑問を感じません。ここに出てくる子供たちも自問しません。

イシグロ 小説家として、テーマをいろいろな角度から掘り下げていくことができます。この話を書くときに最初に思いついたことの一つは、話の中に“逃亡”を入れることでした。それは誰でも最初に思いつくことです。例えば、搾取されたカーストのメタファー、人間の精神についての話にもできるだろうということに気づいたのです。奴隷と反乱の話です。でもそういう話は書きたくなかった。

私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか、ということです。こういう極端なケースを例に挙げましたが、歴史をみても、いろいろな国の市民はずっとありとあらゆることを受け入れてきたのです。自分や家族に対する、ぞっとするような艱難辛苦を受け入れてきました。なぜなら、そうした方がもっと大きな意義にかなうだろうと思っているからです。そのような極端な状況にいなくても、人はどれほど自分のことについ.て消極的か、そういうことに私は興味をそそられます。自分の仕事、地位を人は受け入れているのです。そこから脱出しようとしません。実際のところ、自分たちの小さな仕事をうまくやり遂げたり、小さな役割を非常にうまく果たしたりすることで、尊厳を得ようとします。時にはこれはとても悲しく、悲劇的になることがあります。時にはそれが、テロリズムや勇気の源になることがありますが、私にとっては、その世界観の方がはるかに興味をそそります。別にこれが決定的な世界観だと言っているのではありませんが、このような歪んだ世界観を描くならば、『日の名残り』でも、この作品でもやったように、常にその方向に行く方を選びたいのです。『日の名残り』は、執事であることを超える視点を持ちようがない執事についての話です。我々はこれと変わらない生き方をしていると思います。我々は大きな視点を持って、常に反乱し、現状から脱出する勇気を持った状態で生きていません。私の世界観は、人はたとえ苦痛であったり、悲惨であったり、あるいは自由でなくても、小さな狭い運命の中に生まれてきて、それを受け入れるというものです。みんな奮闘し、頑張り、夢や希望をこの小さくて狭いところに、絞り込もうとするのです。そういうことが、システムを破壊して反乱する人よりも、私の興味をずっとそそってきました。

- 現実に逆らって逃げることはできませんね。それも自分の一部ですから。

イシグロ もちろんそうです。究極的な言い方をすれば、私は我々が住む人間の状況の、一種のメタファーを書こうとしていたのです。幸運であれば、70歳、80歳、恐らく90歳まで生きることができますが、200歳まで生きることはできません。つまり現実には、我々の時間は限られているのです。いずれ老化と死に直面しなければなりません。確かに私は、このストーリーの中で、若い人がかなり早く年を取る状況を人工的に作りました。つまり、彼らが30代になると、もう老人のようになるのです。でもこれは、我々がすでにわかっていることを、別の新しい観点から認識させてくれる方法に過ぎません。人生についての疑問や希望を、我々が実際に直面するものと同じようにしたかったのです。

こういう理由で、登場人物たちを状況から“逃亡”させることには魅力を感じませんでした。奇妙な科学的な操作をして、老化プロセスを逆行させようとしたがっている少数のクレージーな人はさておいて、我々の体がいずれは動かなくなるという事実から逃げることはできません。概して我々はそれぞれ違った方法で死をのがれようとします。死後の世界を信じたり、もっとささいな方法としては、作品を残したり、我々自身の記憶や、人生で達成したものを残したり、我々を愛してくれた人や友人の思い出を残すようなことをするのです。何とかして、ある程度は死を克服することができます。私はこの本の登場人物がそういう観点からしか、死について考えないようにしたかったのです。特にこの本の中心に、真の愛を非常にロマンチックな方法で見つけることができるという希望を置きたかったのです。こういうふうにしても死を打ち負かすことができる、これは、世界中のどの文化をみても存在する、一種の深い神話です。心中する恋人同士などについて、本当にロマンチックな話がたくさんあります。どういうわけか、愛は、死を相殺できるほど強力な力になります。愛があるからと言って、永遠に生きることはできませんが、どういうわけか、愛があると、死がどうでもよくなるのです。私はそれに相当するものがほしかったのです。それゆえ、実際の逃亡、物理的な逃亡には関心がありませんでした。

- 私はこの本は、「人間とは何か」という非常に基本的な問題を提示していると思いました。

イシグロ そうですね。クローンをあつかった効果の一つがそれです。例えば、トルストイやドストエフスキーなど、20世紀初期までの古い文学をみると、「人間とは何か」とか「人間と神との関係とは何か」とか「魂とは何か」について、カフェで議論させるのに、二、三十ページ割いても許されますが、現代文学でそのような会話にそれだけ割けば、読者を当惑させてしまいます。もったいぶった感じや頗る気取った感じがしてしまう。でもクローンを使えば、あるいは、ロボットや、『ターミネーター』に出てくるシュワルツェネッガーのようなサイボーグを使えば、そういう議論をしなくても、読者の頭の中にすぐに同じような問いが出てきます。人間同士とかかわるような方法で、このような創造物にどのように自分を結びつけたらいいのか、と考えるからです。結局のところ、人間とは何かということを考え始めることになります。魂とは何か。このコンピュータには魂があるか。こういう仕掛けは、サイエンス・フィクションから来たものだと言えますが、私のような小説家が、文学の中でずっと音から投げかけられてきた古くからある問いに戻ることに役に立つのです。


二度の執筆中断

- 物語の時間設定を未来ではなく、非常に近い過去に置いたのは、サイエンス・フィクションというレッテルを貼られるのを避けるためですか。

イシグロ サイエンス・フィクションというレッテルを貼られても気にしませんが、この作品を何かの予言であると誤解してほしくありません。「おー、これはこのまま幹細胞研究を続けると、50年後には社会でこういうことが起こるんだというような警告だ」と読者に言われたくありません。その誤解は避けたい。さっきも言いましたが、メタファー的な面をより強調したかっただけです。これは、我々がこういうふうに生きているという形の歪んだ鏡であることをここで明確にしておきます。もちろん好みの問題でもありますが。将来、車がどういう形になっているとか、カップ.ホルダーやカフェがどういう形になっているか、というようなことを想像することに関心もなければ、気力もありません。こういうことに興味をそそられる人もいますが、私にはまったく関心がないことです。これが、未来に時間設定するのを避けた、もう一つの理由です。

- イギリスが、世界初の哺乳類の体細胞クローン羊であるドリーを誕生させ、世界を仰天させた事実は、あなたのインスピレーションと関係あるのですか。

イシグロ ほんの偶然にすぎません。というのも最初に書き始めたのは1990年ですから。この本を書くのに3回の試みをしています。最初は書き始めて、結構早くに中断しました。私が「学生」と呼ぶ著者についての話が頭に浮かんで書き始めたのです。「学生」と呼んだものの、大学もなければ、教授もいませんが。彼らは『わたしを離さないで』の半ばに出てくるような、イギリスの田舎の農家に住んでいました。でもクローンではなかった。当時はクローンを仕掛けとして使うことを思いつかなかった。この著者たちが、核兵器や原予力に接触することになるのです。これで彼らの運命が翻弄されるのですが、そこからうまく話が続かなくなりました。いろいろな筋を考えたのですが、ひどく稚拙で、あきらめました。二回目の試みは、90年代の半ばですが、うまく行かず断念しました。2000年になって初めて、核兵器の方向を完全に捨てることを決意して、三度目の挑戦をしたのです。当時イギリスでは確かにクローンや幹綱胞研究について、侃々講々の議論が起こっていました。ウィルムット教授がドリーというクローン羊を作ったからでしょう。私はこういう議論に普通は興味をそそられません。科学の最新の発展もフォローしていません。でも当時、これこそジグソーパズルの最後のピースだと突然頭にひらめいたのです。冷戦時代に育った私の世代の典型的な発想である核兵器のアイデアをいっそのことやめて、クローンなど、科学上の発展の観点から考え始めれば、自分が言いたいテーマがきちんと伝えられる話が書けると思ったのです。本当にちょっとしたブレークスルーだった。それで、三度目にクローン人間という発想が浮かんだのです。施設の外で生きている他の人が長生きするのに役に立つように、施設の人がただ医学的な理由だけでクローンを作るという考えが浮かび、すべてがすんなり行きました。

- ということは、何年間も熟考して完遂したのですから、今達成感を味わっていますね。

イシグロ それは別に珍しいことではありません、他の作家も同じような経験があると思います。作家や映画制作者に聞けば、わかりますが、彼らは、あるプロジェクトが終わってから、新しいプロジェクトをゼロから始めるというのではありません。長年の間、アイデアがずっと頭に浮かんでいて、あることがきっかけで、その瞬間にすべてが収斂することがあるのです。それはよく起こることです。それで完成するのです。私も何年も漫然と頭に浮かんでいる、いろいろなアイデアがたくさんあります。生煮えのアイデアや小さなアイデアです。まだうまくまとまりません。ですから、必死に集中してやり抜いたというのではありません。私が今まで書いた本は、ほとんどどの本も長年脳裏にあった要素やアイデアが入っています。ですから、ある意味では、書き始めて中断しても落胆しません。15~20年経てば、無駄になっていないことがあるからです。半年間書き続けて中断しても、無駄にならないからです、今までやったほとんどのことが、後になって役に立つことが.わかっています。

- アイデアを孵化させるのに時間が必要だということですか。

イシグロ 時間的な問題だけではありません。時代や変化する世界とも関係があると思います。あるアイデアがあっても、そのアイデアとそのとき生きている世界との関係とか、一体自分は誰なのか、という問題がうまくかみ合わないとだめですね。あるとき、そのアイデアを今こそ使うときだとひらめき、さらに豊潤なものへと開花するのです。この作品と同じようなものがもっと前に書けたと思いますが、人間として未熟であった私には意味があったようには思えません。もう少し年を取って、時間の経過に意識的になる必要があったと思います、またある意味では、若い人のことを書けるようになるには、年を取る必要があったのです。まだ若いときは、年を取った人の観点から書くことを楽しんでいました。それと同じことだと思いますね、それは人生について新たなる視野を持つ一つの方法です。若い人について書くには、年を取る必要があると思います。


小説作法について

それでは、小説作法についてお伺いしたいと思います。ポール・オースターにインタビューしたときに、彼は、同じく作家である妻のシリ・ハストヴェットの言葉を引用して、こう言っていました。「小説を書くということは、実際に起こらなかったことを思い出すようなものだ。その意味で、小説を書く方がノンフィクションを書くよりもはるかに難しい」。このコメントに同意されますか。

イシグロ 「実際に起こらなかったことを思い出す」というのは本当に興味深いコメントだと思います。まさにその意味で小説を書き始めたからです。若いときは、作家になる野心はまったくありませんでした。ミュージシャンになりたかったのです。実際に小説を書き始めたときは、自分でも驚いたほどです。自分がどうして小説を書くようになったのかと振り返ってみると、最初に書き始めたときの主な動機がまさにそうであることに気づくのです。つまり自分にない記憶を何とかして書き留めることです。

私は日本で生まれましたが、5歳のときに日本を離れたので、イギリスで育ったのと同じです。幼い時の日本の思い出しかありまぜんが、その思い出が私にとっての日本を象徴するのです。もちろんイギリスで育っているとき、ずっと日本社会はどういうものか、とか日本はどんな国かというのを想像していたと思います。ですから、20代の半ばにはもう、日本に対するイメージが完全に出来上がったと思います。それは、ある程度は記憶に基づくと思っていたのですが、実際は違いました。小説家が経験するように、架空のプロセスをすでに経ていたのです。それで日本に対するイメージを完全に作りあげていたのです。しかし、私がそれをやったのは、小説を書こうとしたからではなく、単純に、西欧で育ちながら、感情は日本とつながって魅せられたままでいるという子供のときの状況があったからです。今まで小説を書いたときも、「私の日本」を書こうとしたのです。それは常に自分がやっていないことを思い出そうとするようなものでした。それは記憶と想像の奇妙な混合です。小説家が実際にすることにかなり近いと思います。彼らは架空の世界を想像します。たとえ、リアリズムのモードで書いていてもそうです。自分の世界を創っているのです。自分の中の宇宙を、現実的な世界に押し付けているのです。もちろんポール・.オースターのように、現実からはっきり切り取られた世界を作り出す作家もいます。それでもかなり現実的に見えます。本当に小説としてうまく行くのは、現実の世界に、作家自身の世界が重なっているからだと思います。だからそういう小説を我々は高く評価するのです。

- イシグロさんは想像力を羽ばたかせて書くのでしょうか。

イシグロ それほど羽ばたかせませんね。私は、かなり抑制の利いた作家です。私が小説を書くときは、何に想像力を使うかということについてはかなり慎重です。常に最初にテーマを思いつき、それから登場人物の関係を考えます。自分の想像力には、かなり明確な仕事を与えます。「ほら、このページは空白だ。自分の想像から何かクレージーでワイルドなことが出てくるか試してみよう」とは言いません。多くの作家がこうやってすばらしい小説を書き上げているのはわかっていますが、私の場含は一そろいのテーマが先にあって、それをかなり集中したやり方で探求します。一つや二つのテ-マを完膚なきまで探求するのです。それで、自分の想像力を稼動させて、「これがきみの仕事だ。どうだ、何かできるかね」と想像力に聞くのです。常に大枠があって、その中で、「これをいかにして表現するか、どのようなシーンがこのことを表すことができるか、いかにしてまとめるか」を絶えず考えます。即興的に「次はどこに行けるか」と考えることはしません。

- あなたは小説もノンフィクションも読みますか。

イシグロ 両方読みますね。ノンフィクションもたくさん読みますが、リサーチのために読むことが多い。といっても直接自分が書いている小説のためではないことが多い。今は、最近イギリスとアメリカで出版されたPostwar(戦後)という、歴史家のトニー・ジュットが書いた本を読んでいます。戦後の時代についての歴史書として非常におもしろい本です。小説を書き始めたのはもう25年も前になりますが、その頃同時代的に体験したことがまさに第二次世界大戦の余波であったと気づいたのです。大事件がたくさん起こりました。第一次世界大戦、第二次世界大戦、その後も小さな戦争がずっと起こっています。第二次世界大戦から半世紀以上経って、歴史的事件が数多く起きたことを再認識しています。私の世代の多くの人もそうだと思いますが、まだ世界をみるときに、戦後の歴史の観点からみることが多い。最近になってようやく、第二次世界大戦の影としてではなく、最近起こったことを単独で理解しようとしています。その形やパターンを実際に見ることは非常に重要だと思うからです。もちろん第二次世界大戦はものすごく重要ですが、現在起こっていることを第二次世界大戦に関係なく、理解し始めないといけないと思います。それで、現代史に関する本をたくさん読むようにしています。





村上春樹への関心

- 小説家の話になりますが、好きな作家は誰ですか。

イシグロ 伝統的な作家、つまり偉大な作家では、今でもロシアの作家が好きです。チェーホフ、トルストイやドストエフスキーです。ある意味では私が20代の頃に気に入っていた作家と同じです。年を取るにつれて、ジェイン・オースティンのような、若いときあまり好きでなかった作家が好きになってきました。オースティンは学生のときに読まされたのですが、とても退屈な小説でした。3年前にオースティンのすべての6冊の小説を立て続けに読んだのですが、本当に卓越した作家であると認識しました。ですから、ときには再読する必要があります。現代作家の中では、好きな作家はたくさんいますが、村上春樹がもっとも興味ある作家の一人ですね。とても興味があります。もちろん彼は日本人ですが、世界中の人が彼のことを日本人と考えることができません。国を超えた作家です。現時点で、村上春樹は現代文学の中で非常に関心を引く何かを象徴しています。人は、日本文化に必ずしも関心がなくても、村上春樹に通じるものを感じるのです。

- 村上春樹はそれを意図的にやっていると思いますね。

イシグロ その通りです。私もそう思います。そういう世代の作家がいます。ある程度は、私もイギリスやアメリカの読者だけではなく、国を越えた読者に訴えようとしています。多くの作家がそうしようとしていると思います。彼らは意識的に世界中の読者に訴えようとして小説を書いているのです。文化の壁がないように、そういう壁になりそうな要素をすべて作品から排除するのです。もちろんそれには一長一短がありますが、私も確かにそうしようとしています。

- イシグロさんは村上春樹よりもアドバンテージが大きいと思います。というのも村上作品は英語に翻訳されないといけないからです。イシグロさんが作家の池澤夏樹さんと日本で公開対談をやったときに、自分の小説がどのように翻訳されるかを意識せざるを得ないと言われたのを覚えています。だから、より翻訳しやすい言葉を使うようにしていると。

イシグロ その通りです。

- イシグロさんは英語で書くので、アドバンテージが大きいですね。

イシグロ その通りですね。私の、翻訳されていない作品の方がノルウェー語や日本語で書いている作家よりも読者が多いと思います。それは英語がますます国際語になっているからです。ずっと書き続けてきた間も、ドイツやオランダでも状況はどんどん変わってきています。私の初期の作品は、ほとんどの人が翻訳で読んでいます。でも今は、若い読者のほとんどは、ドイツでも他の国でも、英語のまま読んでいますね。状況が急速に変わってきています。これには危険もあると思います。というのもあまりにも英語が支配的になってきているからです。それに比例して、英語で書く作家が注目されますから、他の言語で書く、非常に貴重な作家が無視されているという危険がすでにありますね。従来は、例えば、ラテンアメリカもそうですが、世界のいろいろな国から頭角を現してくる、非常に興味深いスタイルを持った作家がたくさんいたのです。少なくとも日本は、孤立した状態で成長したので、そこで作られた映画は非常に興味深いと言えます。英語の覇権で、世界が文化的にあまりにも均一化されてしまうと、こういう多様性を見逃してしまうと思います、料理にたとえると、みんな同じ料理を食べたら、おもしろくないということです。インド料理、日本料理などいろいろあるからおもしろいのです。ですから、私は世界中の作家が同じような方向で書いている時代に急速に向かっていることに、いささか当惑しています。

- 英語で書いていても、そう思われますか。

イシグロ どの言語で書いていても、その当惑する気持ちは同じです。英語はあまりにも支配的な言語になっています。さらに文化的にみると、こうなったのはアメリカ文化の力です。我々が英語で書いていても、イギリス的な文化を排除したくなるのです。それはイギリス文化が世界の中で、アメリカ文化のような地位を築いていないからです。アメリカ文化は確固たる地位を築いています。

- もし村上春樹が最初から英語で書いていれば、さらに読者は増えるでしょうか。

イシグロ そうは思いません。村上春樹は興味あるケースだと思います、確かに、勇気づけられるケースだと思います。私は彼を非常に才能のある作家だと思いますが、十分に才能があれば、英語で書かなくても、英語に翻訳されればいいということです。彼のもう一つ特異なところは、国を超えたスタイルで書くだけでなく、リアリズムの外側で書いているということです。現時点で、世界中の作家をみても、所謂リアリズムのモードの外で書いてうまくいっている作家はそれほど多くいません。もし、村上春樹ほど洗練された書き手がいれば、人はすぐに気づきます、コロンビアの作家である、ガブリエル・ガルシア=マルケスのような作家がそうです。このような作家は非常に稀有です。リアリズムの外で、人が理解できるように書けるということは非常に稀なことです。この百年間をみても、この書き方で成功している作家で思いつく作家はそれほど多くありません。フランツ・カフカとかサミュエル・ベケットとか、ガルシア=マルケスとか。本当に稀有なことですよ。だから村上春樹が世界中で人気があるのだと思います。イギリスでは確かに人気があります。恐らくイギリスで、もっともたくさん読まれている、外国語で書く作家でしょう。英語で書かない作家で、これほどこの国でも読まれている作家を今思いつくことはできないほどです。アメリカでも同じかもしれません。アメリカにはスペイン語を話す人口がかなり多いですから、わかりませんが、興味深いのは、村上春樹はそれほど世界中を旅するわけではないのに彼のスタイルがインターナショナルだということ、そして世界で受け入れられているという面です。リアリズム・モードをうまく破ることができる人には、言わばこういう国を超えたいという渇望があるかもしれません。作家がそうすることに成功すれば、ガルシア=マルケスのように国際的に評価されますね。

- イシグロさんがこの前来日されたとき、村上春樹にお会いになったと聞いたのですが。

イシグロ 会いましたね。ここ(ロンドン)でも会いました。

- 村上さんとはどういう話をされるのですか。

イシグロ ジャズのことですよ(笑)。そのようなものです。作家同士が会うと、文学というような、大それたテーマについて話すことはあまりありません。

- 村上さんは、自分がイギリスやアメリカで生まれていたらよかった、と言ったことがありますか。

イシグロ ありません(笑)。そこまで親しくありません。東京で昼食を一緒にしたことがあります。それは2001年のことで最初に村上さんに会ったときです。それ以来、ロンドンで二.三回会っています。ロンドン・マラソンに出るために来たときだと思います。本の出版パーティーや晩餐会もあり、出版社の人はみんなとてもわくわくしていました。がっかりするかもしれませんが、そういうときの作家同土の会話はささいな話題です。大きなテーマについてはあまり話さず、サッカーや他のスポーツについて話したりします。作家たちはお互いに人間としてかかわりたいと思っています。確かに、村上さんはジャズにとても熱中されています。私もそうです。

- トマス・ピンチョンは、私がニューヨークに住んでいるときに、娘が、彼の息子と.たまたま同じクラスにいたので、しょっちゅう話をしたのですが、短編小説を書くのは長編小説を書くよりもはるかに難しいと言っていました。イシグロさんはどちらもお書きになりますね。

イシグロ そうです。実際、今短編小説を書こうとしているところです。最初に小説を書こうとしたとき、短編小説を二、三編書くことから始めてそれから長編小説を書き始めました。それ以降短編小説は書いておりません。もう20年もギャップがありますが、今書こうとしているところです。

- 短編小説を書くのは難しいでしょうか。

イシグロ 私はその質問に答えるのには向いていません。長編小説家ですし、短編小説を書く方法については、まだ見習いのようなものですから。村上春樹さんを初めとして、両方をうまくこなす作家は多くいます。でも長編小説よりも短編小説を書く方が難しいということは十分に理解できますね。いくつかの点で奇妙に聞こえるかもしれませんが、他の点ではもちろん長編小説は難しいです。時間も長くかかりますから。つまり実際にかける努力の量はかなり大きなものです。長編を書くには3年、4年あるいはもっと長期間費やします。卓越した短編小説を書くのは非常に難しいと思います。畏編ほど時間を使わないでしょうが、どの言葉も重要です。構成もアイデアの質もよく吟味しなければなりません。技術だけで、うまくやりおおせるものではありません。作家のビジョンの深さやアイデアの質と深くかかわってきます。もしこのような要素が正しくなければ、どれほど技術をうまく使ってもうまく行きません。卓越した小説にはならないのです。短編小説は、作家を思い切りさらけ出す媒体だと思います。


舞台設定をどう決めるか

- 先ほど、『わたしを離さないで』のテーマについて説明されましたが、読者には、前の作品からみるとかなり次元的飛躍をしているように思えます。かなりのギャップですね。そうではないのですか。

イシグロ 私はそのようには感じません。外側から見ると、話の表面があまりにも異なっているので、かなりのギャップを感じるかもしれません。多くの点で、その表面だけをみると、人は、日本に舞台を設定した本と比べてかなり飛躍したと主張するでしょう。『日の名残り』は舞台をイギリスにしましたが、それを飛躍と考えた人もいました。The Unconsoled (邦訳『充たされざる者』)という変わった作品を書きましたが、それはすべてのことが夢のロジックに合わせて作用するのです。読んだ人の中には、『日の名残り』から、かなり大きな飛躍だと思った人もいます。表面的にみると、私は、常に同じ舞台設定を使うタイプの作家ではありません。他の作家で同じ舞台設定を使いながら、磨きに磨きをかける人もいますが、私にとっては、言わば舞台設定は、単なる技術の一部であり、たいした決意でもありません。まずテーマと主人公の関係を抽象的に決めて、ある感情が特定のことを表すようにしますが、そういう話をもっともよく表に出すにはどういう舞台設定がいいかを決めるのです。ナポレオンの時代に設定した方がうまく行くのか、キューバ革命の間に起こったとした方がうまく行くのか、まともじゃないように聞こえるかもしれませんが、実際にそのように考えるのです。ロケハンに行くかのように、ある舞台設定で小説を書き始めて、途中でまったく違う設定に変えたこともあります。逆に私の二作目と三作目(『浮世の画家』と『日の名残り』)はほとんど同じだ、舞台設定が日本かイギリスかの違いだけだと言った人もいます。その言い方はいささか辛辣かもしれませんが、そこにある程度真実があることも確かです。

私に関して言えば、舞台設定との関わりは、他の多くの作家と異なっています。小説技法上の理由で、かなり大きな飛躍をするのです。『わたしを離さないで』の場合、歴史上でふさわしい時点を見つけることができずに、サイエンス・フィクションのような設定になったのです。歴史上で、場所や時間の点から見て、現実的な設定を見つけることができませんでした。だから、それとは違う、いささか幻想的な設定になったのです。クローンや臓器提供のプログラムの世界がうまくテーマに合ったのです。底流にあるテーマは、今までの作品ととても類似しています。先ほども話しましたが、我々が自分の運命を受け入れ、その運命から尊厳を育てていこうとするといったテーマは同じです。『わたしを離さないで』では、寿命が想像以上に短いという背景に、友情や愛について人々が抱く希望などについてもテーマに入れています。こういうことに私は本当に関心を持っています。人生はとてもはやく過ぎていく。さっと手元から抜けるほどはやく過ぎていく。もっともいい機会を簡単にムダにしてしまう。こういうことも常に私の作品の中に見られるテーマです。舞台設定が異なってもそうです。

- その設定の変化を、自分自身のためにも読者のためにも楽しんでおられるようですね。

イシグロ まあ、心の奥底では、表面はそれほど重要ではないと思っています。表面は装飾の一部です。私に激しく反論する人もいるでしょうが、私にとっては、そうであるからこそ、小説は、表面について事実を報道することが非常に重要な、ノンフィクションの作品や歴史書やジャーナリズムの作品と異なるのです。私の場含は小説という手段に訴えます。表面の下にあるメタファーや神話が言いたいからです。表面の下に隠れている普遍的なストーリーが言いたいからです。カウボーイの話になるかもしれないし、17世紀のフランスに舞台が設定されるかもしれません。舞台設定は私にとってそれほど重大ではないのです。私が問うのは、底流にあるヒューマン・ストーリーです。だから小説や映画が大好きなのです。そこに事実や歴史上の詳しい解説を求めているのではありません。そういう事実が知りたい場合は、歴史本や立派なジャーナリストが書いた本を読みます。小説を書いているときは、舞台設定は重大ではありませんが、テーマを十分に伝えるものである必要があります。もちろん設定する舞台は読者を惹きつける、魅力的なものにしたいと思っています。読者には、舞台の雰囲気やムードを十分味わってほしいと思っていますが、それが小説を書く理由ではありません。
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日本への思い

- イシグロさん自身のことについて、おききしたいと思いますが、国籍は日本と二重国籍を持っておられるのでしょうか。

イシグロ 残念ながら、日本は二重国籍を許しません。イギリスは許しますが、もし日本のパスポートを持とうとすれば、だめですね。少なくとも私がイギリス国民になったときは、100パーセント日本人になるか、日本のパスポートを捨てるかどちらかでした。今でもそうだと思います。人生のある時点で決意しなければなりませんでした。最終的には感情的には日本ですが、すべての実用的な理由から、私はイギリス国籍を選びました。もしアフリカで困ったことになれば、日本大使館ではなく、英国大使館に行かねばなりません。日本大使館に行っても、理解してもらえませんが(笑)。

- 両親から離れたのはいつですか。ある年までは両親と住んでいたのですね。

イシグロ 大学までです。それが普通みんな親から離れるときです。もちろんそれ以降も長い間、親のところに戻って、一緒にいた時期もありましたが、基本的には大学から親と離れて、しばらくスコットランドに住んでいました。親と同居しているときも、一人で長い間旅をしたこともあります。

- ご両親と話すときは、日本語を使うのですか。

イシグロ 今でもそうです。電話で話すときも、とても下手な日本語で話しますね。5歳の予供の日本語です(笑)。私がしゃべる日本語は、日本語であることがわからない日本語です(笑)。かなり古臭い、子供の日本語です。5歳のときから凍結した日本語で、それに英単語がたくさん混じります。

- ご両親はまだイギリスに住んでいるのですか。

イシグロ サーリーに住んでいます。

- イシグロさんは35歳になった1989年まで日本にもどりませんでしたね。

イシグロ その通りです。

- どうしてですか。自分の運命を変えることはできなかったのでしょうか。

イシグロ 当時は今と比べて旅行するのが非常に難しかったと言わざるを得ません。今ほどは簡単ではありませんでした。私が10代になるまでに、日本はとても物価の高い国になり、若造が日本まで行くのに十分なお金を貯めることは非常に難しかったのです。また18歳、19歳になったときに、旅に出るのに十分なお金を貯めたのですが、私はアメリカに行きました、当時の私の夢は常にカリフォルニアに行くことでした。というのもその頃サンフランシスコは若者にとって、流行の場所でした。私の世代の若者はみんなそうでしたが、あちこちに旅しました。アムステルダムや他のヨーロッパの場所にも行きました。ヨーロッパ中ヒッチハイクをし、さらにアメリカとカナダの西海岸を3ヶ月間もヒッチハイクしました。当時は日本に行きたいという気持ちになったことはありません。もっと後になって、23、24歳くらいだったと思いますが、その頃になって初めて、日本にとても関心を持つようになりました。それで、自分の小説で日本について書くプロジェクトを始めたのです。私は日本についての小説を書き終わるまで、日本に戻らないという決意を意識的にしました。本当の日本が、自分の脳裏にある日本に干渉をすると思ったからです。私のプロジェクトは、自分の日本が脳裏から消える前に、小説に安定的に書き留めておくというものでした。ですから、本当の日本に行くということは、それを混乱させることになるでしょう。だから日本に行かなかったのです。自分版の日本を温存したかったのです。小説家として、日本を書き終えて初めて、日本に行きたくなりました。それで戻ったのです。それはすばらしい経験でした。でもそれは脳裏にあった日本とは異なっていました。

- 失望したのですか?

イシグロ 失望したのではありません。私が日本だと思っていたものは、あくまで長崎のことだと気づきました。それは日本の他の部分と全く違っていました。長崎の記憶は私にとっては子供の世界であり、それに「日本」という名前を与えたのです。5歳のときに離れて以来初めて長崎に着いたときは、ずっと想像していたものに近かった、すべての丘を思い出すことができたし、昔いた古い家にも行きました。近所も昔のままでした。近所の人もみんな子供のときの私のことを覚えていてくれました。私もいろいろな場所を覚えていました。幼稚園への行き方も覚えていました。幼稚園の昔の先生にも会い、近所の年寄りの人にも会いました、そうして初めて、本当の記憶が蘇ってきたのです。でももちろんほとんどの時間は京都か東京にいました。そこはまったく異国でしたね。

- もしずっと日本で育っていたら、小説家になっていたと思いますか。

イシグロ そうは思いませんね。家族の誰も作家になっていませんし、叔父は京都大学の教授で、国際弁護士でした。父親は科学者で、もう一人の叙父は住友のビジネスマンです。私の家族には作家のような仕事をした人は誰もいません。私が作家になったのは、私が日本からの「亡命者」であることに大いにかかわっています。そして、常に、日本人である両親の目を通してイギリスという国を見たので、自分の周りの社会とも距離を置いて育ったことにも関係があります。友人のすべてが正邪として考えていたことを、私はイギリスのネイティブの変わった風習であるとみていたのです、距離を置いて、イギリスをみていたということです。そういうことも作家になる上でプラスに働いたと思います。

- 外国に住んでいる日本人の両親は、子供にバイリンガルを維持してほしいがために、日本語の学習を強要しますが、ご両親はそういうことはなかったのですか。

イシグロ 両親は決して強要しませんでしたね。恐らく当時はそれがほとんど不可能だったからだと思います。私の家族がイギリスに来たのは、1960年であることを考慮しなければなりません。我々以外に日本人はいなかったのです。日本人コミュニティがなかったのです。今日本からイギリスに来ると、日本人は日本人学校に入れるので、日本語を勉強することは可能です。でも昔は非常に難しかったのです。母親はある程度日本語を教えてくれましたが、あるとき両親は、それはよくないと決意したのでしょう。もし私が漢字やカタカナを覚えるための教育を受けていたら、歪んだものになっていたと思います。それで両親は日本語を私に押し付けなかったのです。多くの点から考えると、そのことに私は感謝しています。特に日本語の読み書きをやるとなると大変な苦労ですから。

- 今日は長いインタビューに応じていただき本当にありがとうございました。

(2006年5月10日、ロンドン、ヒルトンホテルにて)





わたしを離さないで
わたしを離さないで
(ハヤカワepi文庫)

カズオ・イシグロ (著)
土屋政雄 (翻訳)
早川書房
2008/8/22



























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