国際ジャーナリスト 大野和基
著書・訳書

国際ジャーナリスト大野和基の取材秘録2003-2010
   ~取材現場の裏側から英語論まで~
*本書は2003年から2010年にオフィシャルサイトおよびメルマガで配信されたコラムをまとめたものです。
★英語に関する部分を項目ごとに抜粋しました。


<英語の重要性>

- 英語はいくらできてもできすぎることはないのである。得することはたくさんあるが、損することはまずない。英語ができない方がいい場合は、できないふりをすればいいが、できないのにできるふりをするのは不可能である。

- もちろん英語が普通にできると目に見えない壁が破れて、日本人村から精神的に脱出することができ、知人も当然のことながら、トップのメディア人間(ニューヨーク・タイムズの東京特派員、コラムニスト、タイム誌の支局長など)が入っているので、鎖国感はなくなる。英語が駆使できなくてもジャーナリストという職業がもてるのは日本だけである。

- インターネットの影響で英語が世界言語の地位を不動のものにしたことは紛れもない事実で否定しようがないが、だからと言って日本語をおろそかに していいと言っているのではない。母語としての日本語、書き言葉としての日本語は水村美苗氏が『日本語が亡びるとき』の中で強調されているよう に、絶対に残さなければならない。母語を大切にし、普遍語としての英語をやらざるを得ないのは日本国民の一部であるが、それでも知識人が英語という普遍語で議論できないのはどう考えてもおかしい。さらに言うならば、蓮実重彦氏が、『中央公論』(2009年3月号)で述べているように、自衛隊員、スポーツ選手、国会議員は最低でもバイリンガルでなければならない、と思う。

- ぼくがやるインタビューの99%は英語であるが、書くのは日本語である。日本語の書く能力を維持するためには職業的に書くのがベストである。日本人すべての人に英語をやらせるのがいいかどうかは別の議論になるので、ここでは議論しないが、少なくとも日本を代表する知識人は英語ができて当 たり前で、その他にフランス語とか他の外国語ができるに越したことはないのである。英語はあくまでもコミュニケーションの手段であるから、少々稚拙であっても文法的に正しい英語で、伝えるテーマがしっかりしていることが重要になってくることは今さら言うまでもないだろう。

- ノンフィクションも英語で発表しない限り、世界中の人は読まない。その前に日本で出ているノンフィクションのテーマをみると、日本以外の人が関心のないテーマばかりである。まずここから考え直さないと事が始まらない。世界中の人が関心を持つテーマをなぜ日本人が書けないのか。取材さえきちんとできる人は日本にほとんどいない。自称ジャーナリストと言っている人の中で、英語できちんと取材できる人がどれだけいるのか。それさえ疑問である。

- 英語の雑誌をみると日本の雑誌と比べものにならないくらい購読者数が桁外れである。Scientific Americanという一般向けの科学誌は100万部出ているが、その日本版は5万部にも満たないという。National Geographicも1000万部というから、日本の新聞並みである。TV番組も持ちそれは世界中で放送されている。しかもその国の言語に訳さなくても英語のまま放送すればいい。こういう事実を突きつけられると、国際社会の中では日本語はまったく無力であることを思い知らされる。

- 世界中の知識人は日本以外みんな英語が当たり前のようにできる。だから、いちいちその国の言葉の字幕をつけなくてもいいのだ。英語なんかできなくてもいい、と開き直っているのは日本人だけである。

- もう一度言うが、母語としての日本語を大切にすることと、英語をマスターすることは別問題である。逆に英語をやればやるほど母語を大切にすると言ってもいいくらいだ。世界中の知識人は母語と英語という二重言語者であることが当然であることを日本人はもっと意識した方がいい。

- つい最近物理学者のミチオ・カク氏にインタビューすることがあったが、彼の母語は英語である。もちろん英語で本を執筆することになるが、それは32ヶ国語に訳され、Discovery Channelとかラジオ番組(研究室から放送できるようになっている)は世界中で放送される。著書はまず日本語に訳されるから、別に日本語を勉強する必要はない。もし彼が日本人で英語ができない物理学者であれば、ここまで世界中の一般人に知られることはない。 難解な量子力学の話を一般人にわかりやすく説明できる稀有で、貴重な学者である。しかも英語でやるので世界中の人を相手にすることになる。英語が母語でよかったと彼は言う。

- フィギュア・スケートのコーチで有名なニコライ・モロゾフに英語でインタビューする機会があったが、彼はアメリカに来て2年くらいで普通に話せて聞けるようになったという。アメリカ人が早口で話してもちゃんと理解して、しっかり答えている。彼は日本人選手についてこう言っていた。「荒川静香さんのように金メダルを取っても、欧米では誰も知らないのは、英語を話さないからです。言葉の問題は想像以上に大きい。スポーツ選手が英語ができないのは、大きな壁になります。いくらスポーツができても国際舞台で活躍するには英語のインタビューを通訳なしで受けられるくらいにならないと誰も認めてくれません。もっと真剣に考えた方がいい」このことを言うなら、ジャーナリストも同じだろう。日本以外のジャーナリストは英語が当たり前のようにできるから、そのことが話題にならない。英語ができないのになぜジャーナリストになれるのか、と言われるほどだ。答えは簡単である。「自称ジャーナリスト」であるからである。国家試験もなければ、英語のテストもないからである。

- 取材で世界中の科学者、経済学者、政治学者らに直接会う機会があるのが、ぼくの職業の醍醐味だが、おもしろいのは、中途半端の人、つまり二流以下の人に取材を申し込むと断られることが多い。それ以上説得する気もしない。なぜならその段階でその人が二流であることを証明しているようなものだからだ。さらに、一流の人の解説は非常にわかりやすいが、二流の人の解説はわかりにくいことも特徴の一つだ。もう一つは日本人でも一流の人に取材すると必ず英語が当たり前のようにできることだ。「英語なんかできなくても、専門ができればそれでいいのだ 」と自分に言い聞かせている人ほど、専門知識はおろか、自分の位置が世界でどの辺にあるかもわかっていない。こちらは職業的にも地位的にもいろいろな人に接するので、どうしても比べてしまう。英語を母語としない人でも、一流の人は当たり前のように英語ができる。「英語なんかできなくても」と口にするのを聞いたことがない。

- 英語はあくまでも手段であるが、英語ができなくても、通訳を雇うお金さえあればいい、と考えるのは二流以下である。英語は情報を得たり、翻訳されていない資料を人よりも早く読んだりするのに欠かせない。物事を正確に伝えるには言語しかない。芸術は人によって解釈がかなり異なるので、普段の意思伝達手段で使うことはできない。言語はいくらできてもできすぎることはないのだ。

- まったく無名のアメリカ人が、英語で出版してベストセラーになると、世界的に有名になる。日本語でいくらベストセラーを出して有名になっても、日本を一歩出ると誰も知らない。例えば、日系アメリカ人の学者(母親は日本人)、フランシス・フクヤマ氏は、『歴史の終わり』で世界に名を馳せ、近著『アメリカの終わり』(原題:America At the Crossroads)を上梓したときは、やはり世界中の先進国で話題になった。彼とはアメリカでも日本でも何回かインタビューしたことがあるが、最近朝日新聞のインタビューで、興味深い答えをしている。「日系米国人の研究者は日本だけの専門家になりがち。僕は日本語ができなかったからこそ、多様な問題にかかわることができた」つまり、日本語ができなかったことが、プラスになっているということだ。もし、彼が日本の大学でどれほど優れた研究をして、日本語で本を出しても、世界には知られない。日本だけである。この差は、その人の一生のことを考えるとあまりにも大きいのではないか。あるいは、アメリカで日本に関する本を出しても、ここまで話題になることはない。フクヤマ氏もはっきり認めたが、アメリカは日本に関心がないからだ。村上春樹の作品の翻訳者の一人であるジェイ・ルービン氏も、昨秋にシアトルで取材したとき、アメリカ人は日本に関心がないと断言していた。日本を専門とするアメリカ人学者も異口同音にそう言う。

- 『フリーエージェント社会の到来』や『ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代』の著者ダニエル・ピンク氏は、ゴア前副大統領のスピーチライターという蔭の存在であったが、フリーになって英語で本を出した暁には世界的に有名になった。彼とはアメリカでも日本でもよく会って話をするが、口癖のように言うのが、「英語が母語でよかった」という言葉だ。まったく同感である。

- 世界から見た場合、日本人だから美しい日本語ができなければならない、ということにはならない。最近「英語をやる前にまず日本語」とよく言われているが、世界からみると、日本語ができる、できないは関係ないのである。アメリカ人が外国語を勉強しないのは、英語が完全に世界を制覇した言語になったからであり、その傾向はますます強くなっていることは否定のしようがない。

- 日本の基準と日本以外の先進国の基準が根本的に異なるのは、言語である。例えば、大学教授ともなれば、日本以外で英語で授業ができない人はいないが、日本の場合は英語で授業ができなくても教授になれる。教授ともなって英語で授業ができないのは、そもそもかなりのハンディキャップになり、世界の頭脳が日本に集まらない原因のひとつであるが、これは早急に見直した方がいい。馬鹿にされるからである。私が海外の知識人にインタビューして必ず触れられるのがこの話題である。日本文学など、特殊な学科は別だが、かなりの部分の大学の授業を英語で行うことで、世界から日本へのbrain drain(頭脳流入)が起きる可能性が少しはある。よく勘違いする人がいるが、大学で英語で授業をすることと、日本語を大切にすることは別問題である。日本人は英語の重要性の話をするとすぐに「母語の日本語もできないのに、英語どころではない」とか「先に日本語をしっかり勉強しなければならない」という的外れな方向に持っていくから、議論のしようがない。

- ここ2,3年英語をやる前に母語の日本語をしっかりやるべきだという考え方が主流になってきている、あるいは意図的に主流にしようとしている動きがあるように思われるが、これは一見正しいようでこれに忠実に耳を傾けて実行したら、後悔するだろう。ぼくの父親は第二次世界大戦で、戦地に行った。24年前に腺ガンで亡くなったが、まだ61歳だった。ぼくが小学校の高学年になったとき、寡黙な父が「英語はやっておけ。どこでも生きていける」と唐突に言ったが、その言葉は今でも忘れない。それは母語の日本語を疎かにすることを意味しない。

<英語の重要性> <真の英語力> <英語の使い分け> <危機管理の英語>
<発音について> <翻訳の功罪> <英語教育について> <英語の難しさ>
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